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 赤毛のアン 〜毎日読むアン〜                           

No.87 『第16章   "ひろ" 』



  〜アンの後をついてきて離れようとしない、ボロ雑巾以上にみっともないノラ猫。
   処分するしかありません。 パティーの家に、二匹目の猫はいらないわ。

   フィルがクロロホルムを入れた箱に猫を閉じこめました。
   夕方には死んでいるはずだったのですが… 猫は生きていました!
   箱に節穴が開いていたようです。

   これも何かの運命ね…

   アンはノラ猫ラスティーを仲間として、パティーの家の住人に
   加えることにしたのでした。




21歳の春。



失恋の悲しみなんて、新しい男ができたら忘れられる、 と妹に励まされたが、
私にその方法は使えない。

同じ痛みを知っている人と分かち合う…。

言い換えれば、 傷を舐め合って、傷は癒されていくのだ。

もっといい男をみつけて、アイツを悔しがらせてやるぅ〜 」

失恋した友達同士、やけ酒飲んで息巻いたりもしたが、傷を舐め合ってはいない。

イキがっているに過ぎない。 ブッチャけた時の "スッキリ感" とは、ほど遠い。

私が本当に傷を舐め合えた相手は、4歳の男の子だった。

その子の名前は、 "ひろ" 。

私がベビーシッターとして派遣された客先のこどもだった。



お客は、そこそこの生活水準の家庭が多く、  "ひろ" の父親も、若くして
会社を経営する実業家だった。

母親は産まれたばかりの "ひろ" をシッターに預けて、長男の塾通いに
奔走していた。

難関の有名幼稚園に合格すると、送り迎えと母親同士の付き合いに忙しかった。

そんな中、 4歳になった "ひろ" は、我が社のシッター全員を知っている
"ベテラン" になっていた。



私達シッターには、 "お客の家庭内の情報を決して外部に漏らしてはならない" と
いうルールがあった。

お客や子供の悪口など、もってのほかだ。 会社の品格にかかわる。

だが、微妙な言葉使いに隠された "意味" を汲み取るには、少々時間がかかった。

お母様は社交的でお忙しい方なのよ。 子育て中でも自分の生活を大切に
される素敵な奥様。 でも、こどもの教育のために時間を惜しまないのよ


さて、実際伺ってみると… 母親は有名幼稚園に上のこどもを送って行ったきり、
昼過ぎまで帰らない。

幼稚園が終わるまで、友達のお母様方とどこかにシケこんでいるらしい。

お迎えをしたら、その足で習い事に連れて行くのだ。

確かに、 "社交的でお忙しい方" だわ。


"ひろ" は何というか、 「いつも上の空」 という感じの男の子だった。

遊びに心底熱中していないように見える。

家中を目的もなく歩き回って、意味もなく笑う。

遊びに誘うと乗っては来るのだが、いつの間にかやめてしまう。

いたずらをして困らせてくれた方がまだマシだ。


「公園に行こう!」

大喜びで行ってみても、全然遊ばない。

無意味に歩き回るだけで、すぐ帰ると言い出す。

あぁ〜 もう相手にするのはやめた! 一人でぶらんこでもしよっと。

春の風に吹かれて、私は "ひろ" の存在を忘れた。


失恋のヒロインに浸っていると、

 「せんせい… うんこ… 」

出たのか? と思いきや、おろし立ての高級そうな靴にべったりと… 

踏んづけたのね…


いいトコの家の子はこれだから嫌いだ。 ウンコの取り方も知らん。

草むらに靴底をこすりつけて、ウンコをこそげ落とした。

ウンコ踏んだ事はママには内緒よ

不注意なシッターだと思われたくなかった。

"ひろ" は不思議そうな様子も見せず、相変わらず上の空だ。

何を話しても "ひろ" の心には届かないようだ。


ところが、お昼寝の時間になると彼は一変した。

 「ママ… ママ… 」

呼びながら指をしゃぶって、なかなか寝ようとしない。

瞼が重くなると無理に目を見開いて、 「ママは?」 と訴えるように尋ねる。

悲しいくらいに、切実に。


私はいいかげん、嫌になった。

彼を抱っこして、どの部屋にもママはいない事を確認させた。

 「ママ… かえってくる?

もちろん、帰ってくる。 あと2時間後にはね。

15分遅れたら、延長料金加算されるんだから。


"ひろ" がママのベッドで寝る、と言い出した。

ダブルベッドのある寝室に入るのはマズいんじゃないかと思ったが、

彼が寝てくれるのなら、私は王様のベッドでも拝借するだろう。

寝付いたら彼のベッドへ戻せばいい。


ところが、彼は寝付けなかった。

病人が "痛み止めで眠らせてくれ" と嘆願するように、ママを求めていた。

我が社で一番の売れっ子シッターなら、 きっと生クリームの様な甘い声で
こもり唄を歌って、首尾良く眠らせたのだろう。

しかし、私は意地悪く言った。

ママはまだ帰らないわよ。 おにいちゃんと一緒だもの。
"ひろ" を置いて、おにいちゃんを迎えに行ったのよ


私は鬼だ…。


彼は、小さな声で泣き始めた。

涙と鼻水が混じり合って、しゃぶっている親指をつたって口に流れ込んだ。

鬼の私だって泣きたい気分だ。


 そうよ… 今、側に居て欲しい人がいないことくらい、辛いことない。

 呼んでも返事がないくらい、悲しいことないもの…

 わたしだって… わたしだって…



大好きな人に受け止めてもらえない不安と淋しさなら、私にはよくわかる。

それは、大人でもこどもでも同じだ。

"ひろ" を抱っこしたまま、涙がこみ上げてきた。

新しい男を見つけて、見返してやりたいなんて想いはカケラもありゃしない。

ただ懐かしくて、会いたくて、 こどもの様に泣いた。  "ひろ" と一緒に。

純粋にひとりの人を求める心に出会って、 私の頑固な想いが解けていく。

私は恥も外聞もなく、安心して、  "ひろ" の胸で泣いた。

同じ淋しさを抱えた者同士の私達は、それぞれ別の人の名前を呼びながら、
いつしか眠ってしまったようだ。



それ以降、 私は二度と "ひろ" の家には派遣されなかった。

だがその理由が、 ウンコを踏んだのがバレたのか、ダブルベッドで寝たのが
マズかったのか、正直知りたくもない。

でも、 "ひろ" に会うのは "あの日一回コッキリ" で、私には充分。


私は、 "ひろ" のことを忘れない。

一緒に泣いて、楽になったよ。


ありがとう、 "ひろ" 。
posted by 片岡 よしこ at 14:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | バックナンバー
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