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 赤毛のアン 〜毎日読むアン〜                           

No.71 『最終章  こだま』


私は小学校3年の時から、10回の引越しをした。

初めての引越しは夜逃げだった。

父の経営する印刷工場が、不渡手形を掴まされて倒産したのだ。


夕食が終わって、父が厳かに言い渡した。

  「明日の夜、家を変わるから勉強道具と着替えの用意をしておきなさい。
  これは夜逃げである。


はっ?


夜逃げを成功させるコツは、茶碗も箸も卓袱台に置きっぱなしにし、
"さも帰ってきそうな雰囲気" を漂わせながら立ち去る事。

債権者達の裏をかいて消えるという作戦だ。

何もこんな、芝居じみた演出をしなくてもいいようなものだが、父が
さも誠しやかに説明するので、幼い私はなるほどと感心したものだ。

かくして私は、手はず通りにランドセルと着替えだけを持って、
夜逃げしたのだった。



新しい生活は、がらんとした部屋から始まる。

荷物は少ない方がいい。 私は家具を持たない主義だ。


物が多ければ引っ越し費用が高くつくし、家具なんて次の家に入るかどうかも
わからないではないか。

"初めての引越し" のインパクトが強過ぎたためか、 不測の事態
(つまり夜逃げとか) に備えて、常日頃からいつでも引っ越せるように
しているのだ。



引越しの醍醐味は、 バンバン物を捨てる快感と、全てが運び出され
がらんとした部屋に、一人たたずむことに尽きる。

静まりかえった部屋から部屋を見て回り、浮かんでは消える思い出に浸りながら、
ドアに鍵をかける。


ここからまた、新しい生活が始まるのだ。

夢も、笑い声も、人生も、 まだ終わってしまったわけではないのだ。


しかし、とんとん拍子に落ちのつかないのが、 私の人生。


一昨年の10月、 別れた亭主がマンションへ引っ越す事になった。


見積に来た某大手引越し屋の女性担当者は、ゴミに溢れたダイニングテーブルの
隅っこに、やっと空き地を見つけて座った。

そして、手慣れた様子で予算内の作業にチェックを入れ終わると、こう言った。

  「とにかく、大変でしょうが… 頑張って片付けて下さいね。

誰が? 誰がやるんだよぉ!?


動く気など更々ない元亭主。 おかんがやる、とたかをくくる娘と息子。

私がやるしかない。


別居の時、蒲団と身の回りの物だけ持って "夜逃げ同然に" 家を出た私には、
どうしても奪回したいものがあった。

押入れの一番奥にしまった数十冊の日記と、友人達とやり取りした手紙の束。

そんなん絶対読まれてたまるか。

だが、その押入れまでの道はゴミと物に塞がれ、おいそれと辿り着けるものでは
なかったのだ。

彼女の言葉通り、その日から想像を絶する戦いが始まった。


ゴミと不要品の山を詰め込んだ袋は、常に軽自動車一杯になった。

後ろもろくに見えやしない。 週2回の収集日だけでは捨てきれない。

川沿いの人気のないゴミ捨て場を選んで、娘の友達のライトバンと
私の軽自動車2台で往復した。


ある日ふと見ると、 手は傷だらけ、足は打ち身だらけ…

それでもまだ、押し入れの戸は開かない。


最後の週になって、ようやく元亭主が自分の部屋を片付ける気になった頃、
これが更なる地獄だった。

物持ちのいいのが自慢の彼は、自慢するだけのことはあった。

高校時代の服まで後生大事に持っていた。

一度彼の部屋に入った物は、ゴミに到るまで出されることがないのだから。

そんな処から私は、ようも出られたもんだと思った。


捨てる気などいっこうにない彼を怒鳴り上げ、廃品回収業者を呼ぶ。

  「トイレットペーパー、ぎょうさんになるで。」

アホや… こっちが金払って、持って帰ってもらうんやがな…

オマエも一緒に捨てたろか。



引っ越し前日。 ようやく最後の荷物をまとめ終わり、後は不要品だけが
残された。(これは最終的に、引っ越し費用の三分の一に及んだ。)

仕上げに冷蔵庫のコンセントを抜く。

やっと帰れる…

思った瞬間、うろつくだけでほとんど疲れていない "ヤツ" が、
上機嫌でピザを注文すると言いだした。

おおはしゃぎでピザをぱくつくヤツ。 コイツのコンセントを抜くべきだった…

当日、天気はまずまず。 コンビニに寄って元気の出るドリンク剤を一気飲み。

ついでに引っ越し費用の25万を用意した。

絶対アイツ、支払いの現場にいない。

案の定、引っ越しの現場どころかヤツの姿は終日、どこにもなかった。

引っ越し費用を立て替え、最後のガス代の集金が来るのを、
私はがらんとした部屋で、一人待った。

スーパーで買って来た、安物のお弁当の空き箱が最後のゴミになった。



20年あまりを過ごした全ての思い出に、私は礼儀正しく 「さよなら」 を
告げると、ドアに鍵をかけた。


この家にはもう二度と帰ることはない。

バカ亭主と子供達はゴミと不要品だけの古い暮らしから、新しい世界へ
船出して行った。

これで完全に夫との離婚を成し遂げたのね。


その時、 まとわりついていた古い殻がポロリと剥がれ落ちた。

私はその殻を景気よく払い落とすと、晴れやかな気分で家路に着いたのだった。



借家から立ち退き命令が出たのを機に、マンション購入を元亭主に勧めたのは、
だ。

行動を起こさない元亭主にしびれを切らした私は、 マンション選びから契約、
引っ越しまで全て、結局やらされるはめになった。

子供達に帰るべき自分の家を持たせてやりたい。

そうでなければ、ヤツの顔など誰が見たいものか。

時が過ぎて、頑張って良かったと思えるような花盛りの春が来るのを期待するが、
それが後悔の冬になったとしても、 まあ、それも良しだ。

起こした行動の結果は、どんな形であれ自分に戻って来るものだから。

こだまの様に。


そしてこだまが帰ってきたら、ありのままに受け止めたらいい。

今は、その時が来るのを待っていればいいのだ。


時の流れの向こうに、こだまが出番がやって来るのを待っているように、
私には思えた。
posted by 片岡 よしこ at 06:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | バックナンバー
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