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 赤毛のアン 〜毎日読むアン〜                           

No.47 『第6章  ケチ』




お正月休みは、あっという間に終わってしまった。



遅れている月締めの処理やら、源泉と住民税の資金繰りやらを済ませて、
昼休みに、散歩に出かけた。

会社の資金繰りに頭を使っても、悩む必要はない。 所詮、他人事だ。

もうじき来る、 我が家の固定資産税なら、話は別だが…。



勤めている会社は、私が小学校4年から10年の間、住んでいた町にある。

社長一族のお宅と私達家族が借りていた家とは、 目と鼻の先の、
同じ町内だったのだ。


この偶然の巡り合わせに、私は良い予感を感じた。

この町で再出発しようと、この会社への就職を決めた。


ところが…、 このところの不況で会社は潰れそうだし、お母さんみたいで
良いと思った奥さんは、お母さんよりうるさくて、どこが良い予感なんだと
自分に呆れている。

人を見る目のなさに、情けなくなる。


事実を良く見ていたら、 読めたはずなのに。


お金が絡むと本性が出る。 人の考え方が判る。

人にどれだけお金をかけているか、 それで会社が判るというものだ。

その辺の見極めが甘かった。



アン達のアヴォンリー村改善協会は、 公会堂の屋根を葺きなおして、
ペンキを塗り変えるための寄付集めを始めた。

寄付をする者しない者、 それぞれの考え方が伝わってくる。

アヴォンリーでは "ケチ" のレッテルを貼られたら、一生ついて回る。

気前が良いという事は、最高の褒め言葉なのだ。

やっぱり、お金が絡むと人が判るなと思う。



気前の良い人がいい。


入社当時の社長は、会社のお金については気前が良かった。

高卒の初任給程度で雇いたかった奥さんに対して、前職での所得を見た上で、
それでは安すぎると考えてくれたからだ。

ところがその社長、 自分の財布のお金には実にケチだった。

バレンタインの義理チョコのお返しは、クリームパン一個。

駐車場で私の車に接触しておいて、 大した事なくて良かったと、
何故かチクワをくれた。
(社長はその時、代車に乗っていたので、自分は痛くも痒くもなかったのだ)

会社費用の宴席は豪華にやるが、 昼ご飯はいつも、こそこそと
うどんを食べに行っていた。


その社長が翌年、 肺癌で亡くなった。

土建業と組(ウチの社名は土建屋らしく○○組なのだ)の衰退を見ずに
済んだだけ幸いだった、と言える。

自分の財布からお金を出すのは、死ぬより辛いだろう。



結果として、人の為になる、 そんなお金の使い方が賢いと思う。


経理担当の "奥さん" は会長夫人であり、 今の社長の母親である。

何よりも、会社の存続だけを第一に考える。

気前が良いはずだった彼女が、 景気が下向くに従い、次第に
貧乏臭く思えてきた。 いや、実際貧乏臭くなった。

まさに "貧すれば鈍する" の言葉通りである。


社員の残業手当をカットして、役員給与の削減を後回しにし、 反感を買った。

福利厚生費もケチった。 会社の為に節約して頑張っているのに、誰も彼女を
褒めたりしない。

的外れな経営努力に、社員は喜んでいないのだ。


事務所経費がこれ以上削減できないと知ると、 今度は自分の財布から
支払いを始めた。

もちろん、そんなことを社員が知るよしもなく、彼女の苦労は報われない。

自腹を切ってまで会社の為に尽くしているのに、感謝される事がない。


更に… 目的もなく、それでいて "ケチ" なのは最悪だ。

ケチること自体が目的だから、浮いたお金で何をするでもなく、ただ不毛な
ケチの世界にはまっていくのみだ。

それは、社員のためでも会社のためでもなく、強いて言うなら自己満足という
"自分のため" なのだから、信用などできようはずがない。


息子である社長に到っては、考え方もその都度、クルクル変わり
判断は首尾一貫しない。

自分の経費は自分で払っているから、社員に対して
「ボクだって、お金がないんですよ。」 などと平気で言う。

社員はその意味を理解できないから、ただ呆れるばかりだ。

親子揃って、 何のためにもなっていない。



私は、亡くなった社長には今も感謝している。

自分の財布はしっかり閉めるケチだったが、会社のお金をケチらなかったからだ。

経営手腕が特に優れていた訳でもない雇われ社長でも、 財産を残して、
家族にも感謝されたに違いない。

結局、 人のためにはなったのだ。



アンの寄付集めを見ていると、誰一人としてきちんと目的を理解しているのでは
なさそうだ。

早いところ追い返したくて、僅かな寄付をする者までいる。

かと思えば、目的に賛同するのと寄付をするのは別、という
ハリソンさんみたいなへそ曲がりもいる。

さすがのアンも、寄付集めの一日ですっかり疲れ果て、悲観的になって
しまったほどだ。


だが、 この私も相当にケチケチしている方だ。

もし、公民館の塗り替えの寄付金集めが来たら、それは役所に
出して貰えと言って、 追い返すだろう。

そして、 寄付したつもりになって、100円ばかりを貯金する。

以前はせいぜいそこまでだったのだが、 最近は目的を決めている。

家族と旅行に行く費用にしようと思っているのだ。


不毛なケチの世界にはまって、馬鹿にされたくない。

ケチでありながら、得をしたいのだ。

誰からも感謝されない人生なんてまっぴらだ。



感じの良い人、悪い人、直感で嗅ぎ分けて来た私だが、 近頃ではその直感も
怪しくなってきた。

良い人に違いない、 そうあって欲しい "思い" が勘を鈍らせる。


見た目では判らない人が増えてきたこの頃、 お金の使い方の的を
外さないかどうかが、 人を知るための知恵のひとつになっている。

人を知るという事は、その人の考え方を知ることであり、
お金の使い方がそれを理解する糸口になる。


私は、この人の考え方を理解しているだろうか…。

そんな私は、自分の考えを持っているだろうか…。


私は自分を見つめ、 戒めながら、 目の前にいる人の声を聞いている。



posted by 片岡 よしこ at 06:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | バックナンバー
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