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 赤毛のアン 〜毎日読むアン〜                           

増刊号 『ようこそ、さよなら、 赤毛のアンの世界』


NHKの「ようこそ! "赤毛のアン" の世界へ」、 ご覧になりましたか?

私の感想は、 予想以上の落胆

一言で言えば "番宣" 、 4月から放映される新番組の
"前宣伝"
でしかありませんでした。

山瀬まみの座り位置で、 "ためしてガッテン" か?、 と思いましたが、
観終わっても全くガッテンできず、 苛立たしさだけが残りました。



私は、 「赤毛のアン」 が好きだということを、長年苦労し、
慎重に、 隠し続けて来ました。


せっかくカミングアウトしたのに、隠しておけば良かった、 と思いました。



なぜだと思います?

赤毛のアンの世界」 にどっぷり浸かった、 "夢見る夢子" ちゃんだと、
誤解されたくないからなのです。



知り合いのご婦人宅に、お邪魔した時の事。

大変な読書家らしく、 本棚には東西の名作が並んでいました。

その中で、 なぜか数冊の本にだけ、カバーがかけられ、
タイトルが隠されているのを、 私は見逃しませんでした。

  「これは… アンに違いない…」

やっぱり、 「赤毛のアン」 でした。


世間の 「赤毛のアン」 に対するイメージが、 あまりに幼過ぎるのです。


事前のアンケート調査に基づいて、制作したようですから、
これが世間一般の、 「赤毛のアン」 ファンの実像なのでしょうが…

正直、 げんなりしました。

そうしてみれば、 ふてくされたような山瀬まみの表情が、
一番正味の反応だった
、 と思えます。


もし、 "この番組が良かった" と言う人が90%以上いても、
面白くないと思った少数の 「赤毛のアン」 好きがいる、
という事を、世間に知らしめたい、 と私は思ったのです。



赤毛のアンの何に一番魅力を感じるか」 という問いに対し、
 堂々の第1位は… 驚いた事に、 "プリンスエドワード島" 。


さすがに、 脳科学者は、言う事が違います。

  「名作の舞台には、その作品の風が吹いている」 と…。


しかし、 普通のアンフリークが、そこまで会得して帰国できるかどうかは、
疑問です。


アヴォンリーは、 当初の予想通り、 "テーマパーク化" されているようで、
そんな中ではしゃぐ "松坂慶子" の姿を見て、何となく恥ずかしくなったのは、
私がひねくれているからなのでしょうか…。


そして、 大ヒット作品の宿命…。

赤毛のアン」 の中で書かれた内容とは別に、
やはり、 ファンのイメージが一人歩きしている様です。


昭和27年に、日本で出版された時は、 終戦から13年が経ち、
世の中は落ち着きを取り戻しつつありましたが、まだ文化的な貧富の差は大きく、
当時、これを読まれた方は、 少なくとも 「中流階級以上」 だったのでは、
と想像しています。

確かに 「赤毛のアン」 には、 ちょっとセレブな、文学少女のイメージが
感じられます。

文学少女なら、 必ず読んだ本だったのでしょう。


その後、 「こども向き」 に訳された本が、どこの学校の図書館にも並び、
私も夢中で読みました。

モンゴメリーの、アン以外の作品も、 ほとんど読破したものです。

それまでは、 父の本棚にある松本清張、 司馬遼太郎、 山本周五郎などの
歴史モノを主に読んでいたのですから、まさに "カルチャーショック" でした。

見た事も触れた事もない、外国の生活様式への憧れ、 自然への憧れが、
キラキラと目の前に拡がっていきました。

夢見る "ちびまる子" ちゃんの画をご想像戴ければ、 ズバリそのままでしょう。


アニメ化されてからは、 「赤毛のアン」 は、
文字通り、 "童話" になってしまいました。

私は、 "自分の中のアン" を壊されそうで、 アニメは観ませんでした。



赤毛のアン」 の世界には、 引き込まれたら戻れないくらい、
強烈な "エネルギー" があります。


それは、まるで "ぬるま湯" のように、 どっぷり浸かっていたくなるのです。

良い本には、 総じて、そんな力があります。

そこから抜け出して眼を覚ますのが、 一番大変で、最も重要なことなのです。

NHKのスタジオで、 笑みを浮かべて、大まじめに拍手していた方々の多くは、
まだ夢の中におられるのではないか…、 
そんな気がします。

  本を読んだら、 そこから得たものを現実に持ち帰り、
  自分の、 生きる知恵とエネルギーに換えなければならない


私は、そう考えています。



私は、 どうして目が覚めたのか…。

社会の荒波や人間関係の大波にさらわれ、 揉みくちゃにされ、
めためたになったからです。

元々の自分がなくなるくらいになって…、 ふと我に帰ったら、
何にも感じなくなっていたのです。


つまり、 「アンの魔法」 は、 何の役にも立たなかったのです。

ましてや、アンの事を思い出した事などなく、 むしろ、アンなら
"絶対にしない事" をして、 生き抜いてきたのです。



ある日、 引っ越しの荷物整理をしていると、
黄色く変色した単行本に、 眼が留まりました。

それは、「赤毛のアン」 ではなく、 モンゴメリーの作品のひとつ、
丘の家のジェーン」 でした。

高校時代、 私は、 アンよりジェーンを身近に感じていて、
何度も読み返していました。

それがなぜなのか…、 自分でも判らないのですが、この事はこのままそっと、
謎のままにしておきたいほど、 大切にしていたいのです。


何も感じなくなった心が、 フッと息をついたのを感じました。

昔の自分を思い出す、 きっかけになったのです。


私は、はっきり意見を言えない臆病者で、 大きな声の人に意見を合わせて
生きてきました。


素直に、静かに、明るくしていれば、 嫌われる事も少ないからです。

意見があっても言わないようにしていました。


人は、 意見を言わない、そんな私を軽く見て、 勝手に決めるようになりました。

私は、 次第に 「自分には内容がない」、 と思うようになっていきました。

内容がないのに、 ロマンチックなアンの、物の見方だけを
学んでしまったようです。

まさに、 ミーハーな、 「赤毛のアン」 フリークでした。

赤毛のアンの、 "かけら" だけが残ってしまったのです。



そして、年月を経て、 こうして "書く" ことにより、気が付きました。
それも、 昨夜のことなのだけれど。


私は、 「言わなかったから」 。

あまりに長い間、習慣的に黙っていたために、 言い方がわからないのだ、 
と思ったのです。

嬉しくもあり、 厳しくもある、 発見でした。


NHKの番組は、 "茶番" だったけれど、 
ひとつだけ、 私が "ガッテンボタン" を連打した映像がありました。


モンゴメリーが縫った、 パッチワークのベットカバー。


それは、 恐ろしい程の 「迫力」 がありました。

同じ大きさと形にカットされた、普通のパッチワークではなく、
上に重ねて端切れを当て、 さらにまた気に入った布をはぎ合わせ、
その上から刺繍をし…、

まるで、 熱中する事で何かを忘れようとするような、
情熱の捌け口のような作品でした。


そして…、

僅かに空いた、白いスペースに、 小さく刺繍された "Lucy" という文字。

生身のモンゴメリーが、 そこにいました。




私は、 赤毛のアンの本性を見つける」 と公言して以来、
ずっと考え続けていました。


そんな中、ポンと浮かんだのは、 アンは "つぎはぎだらけ" という事でした。


膨大な読書による、 名作・古典・聖書・詩の知識を引用し、
イメージを膨らませ、 ちりばめて創られた、 パッチワークの 「アン」 。


モンゴメリー自身の声で語り出された言葉は、
その中の、どこに隠されているのでしょうか。

ピカソや岡本太郎、といった芸術家達のように、

  「これがオレだ! どうだ〜!」

とばかりに、 自分を表現しないモンゴメリー …

はっきり言っているようで、 判りにくい表現方法。

そのどこかに、 彼女は隠れているように感じるのです。


あのパッチワークを見た時。

 「この勘は間違ってはいない」 と、 私はガッテンしたのでした。


ほんとは寂しい、 変わり者のモンゴメリー …

よっし!


モンゴメリーを、 美しいプリンスエドワード島の湾に、引っ張って行こう。

そして、 夕日に向かって、 「叫んでみぃ」 と言いたい。


私は言うよ。

  「これがワタシだ。 勝手に決めるな。」

  「バ カ ヤ ロ 〜 〜 … …」


posted by 片岡 よしこ at 21:45 | Comment(4) | TrackBack(0) | バックナンバー
この記事へのコメント
あなたの思っている赤毛のアンのご意見は、不快に思いました。
Posted by at 2008年01月22日 02:17
貴重なご意見、誠にありがとうございます。

さて、 「ご不快」との事ですが、どこがどのように
「ご不快」に感じられたのか、
更に具体的なご意見を戴ければ嬉しいです。

今後ともよろしくお願いします。
Posted by 片岡 よしこ at 2008年01月23日 14:51
1941生まれのわたし。いま手元には三笠書房の若草文庫、昭和31年2月15日第14刷刊行の゛第三赤毛のアン"があります。何度読み返したことか。わが青春の隠れファンのアンでした。アニメになったり映画にもなりましたが村岡花子訳のアンシリーズが自分の想像の世界に遊べて最高です。
こんなにアンブームになって残念です。
何しろアンは私一人のアンでいてもらいたっかたのです。
Posted by shai at 2008年07月19日 14:03

コメントありがとうございます。
そして、私のブログを読んで下さりありがとうございます。

私の本棚にも新潮社の「赤毛のアン」が並んでいます。小学校の図書館で借りたのは、若草文庫だったかもしれません。いずれにしても、村岡花子さんの訳本でした。

私はアンのイメージを壊されたくなくて、アニメ化された時も、断じて見なかったものです。

しかし、ブログを書くにあたって、あえて掛川恭子さんの訳本を読んでみることにしました。そこには、やっぱり私の思った通りのアンが生きていました。ちょっと古めかしかった会話口調が、今風に変わって、親しみやすくなっているように思います。

時は流れ、人は夢を見ることを忘れていくようですね。ちょっとアン読んで忘れてしまうような連中は、ほっておきましょう。魂の中にアンがいる限り、アンは”あなた一人の”ものです。



Posted by 片岡よしこ at 2008年07月22日 09:49
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