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赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
〜ギルバートが夢中になっているという噂のクリスティーンは、
アンが持っていないもの全てを備え持っているように見えました。
薔薇色の頬、艶やかな黒髪、すみれ色の瞳…
ギルバートを愛することはできない、と言ったアンなのに、
どうして彼女のことが気になるのでしょう。〜
21歳の夏休み。
まだ暗いうちから、 "ミス・クセ" は釣り場に向かっていた。
昨日、ホステルの主人から聞いた岩場までは、30分程かかる。
釣竿にビクンと伝わる獲物の動きを思うと、わくわくしてくる。
日が昇るに従って、先客の釣り人達の姿が遠くに見え始めた。
遅れをとっては、と足を速める。
それにしても、よしこさん、 最近ますますおかしい…
"ヨシロー君" に夢中になっていた時は、恋に狂って頭がおかしいのだと
思っていたが、 彼を諦めてからも別の意味でオカシイ。
「 "佐竹" って… だれよ…? 」
昨日、島に来る間も宙に向かって話をしていた。
荷物は佐竹に持たせているからと、自分はバッグひとつ下げたきりだ。
どう考えてもイカれている。
今朝も蒲団から顔だけ出して、妙な事を言っていた。
「一人で釣りに行くのは危険だから、佐竹にお供をさせるわ」
寝ぼけていたのだろう… ミス・クセは、よしこについて考えるのを打ち切った。
適当なポイントを見つけたのだ。
正直、独りで釣りに行ったことはない。
以前カレと、日本海の荒波の打ち上げる岩場に行った事があった。
ライフジャケットを身に付け、カレから教わった通りの手順を確認しながら、
一心に海に向きあった。
カレがいなくても釣りくらい行けるってことを、自分自身に証明するのだ。
ミス・クセはまるで物分りのいい姉のように、カレが黒髪の同級生と旅行に行く事を
知りながら、 "見て見ぬ振り" をした。
行き先が、釣り場とは縁のない所だったからだ。
あの黒髪の同級生は、一緒に釣りをするタイプではない。
日に焼けるとか、餌が気持ち悪いとか言う女に決まっている。
そう結論を出すと、いくらか勝ったような気分になった。
それにしても "アタリ" が来ない… 一匹の小魚でさえも引っかからない。
ミス・クセは、淡々と "引き" を待っていた。
日は高く昇り、ライフジャケットの下で、胸の谷間を汗が流れるのがわかる。
たまらずジャケットを脱いだ。
「カカッタ!」
大物だっ、と思った瞬間、足を取られた。
岩に肩を強かにぶつけ、そのまま水中に頭から落ちていく。
浅いはずの水中から何故か、起き上がる事ができない。
始めから海水を吸い込み、鼻も喉も痛い。
溺れる…
その時、体がふわりと持ち上がった。 真夏の日差しが眼に飛び込む。
「大丈夫でございますか?」
初老の男性だった。 心配そうにミス・クセを見つめている。
「よしこお嬢様に申し付けられて、お供してようございました」
ミス・クセは、あっけに取られて言った。
「あなた… 佐竹…?」
ミス・クセは、佐竹に負ぶわれて帰って来た。
魚は釣れなかったが、そんなことはどうでも良かった。
"佐竹" が見えたのだから。
こうしておんぶされ、今は佐竹が点てたコーヒーを啜って
人心地ついていることに、 なんの違和感もない。
今までどうして存在が見えなかったのか。 ますます不思議だ。
また次の瞬間には、見えなくなってしまうのかしら…
いいえ、 一度見えたら、その存在を知ってしまったら、もう二度と
それを無視することも、無かったことにも出来ないのだ。
佐竹が死んだ、と口にするまでは…。
「いやいや、ドザエモンを引き揚げた岩場で、今度は生きたお嬢様を連れ帰る
ことができて、ホントにようございました」
当の佐竹は満足そうに、ミス・クセに持参した漬物を勧めていた。
No.97 『第26章 佐竹が見えた日』
〜ギルバートが夢中になっているという噂のクリスティーンは、
アンが持っていないもの全てを備え持っているように見えました。
薔薇色の頬、艶やかな黒髪、すみれ色の瞳…
ギルバートを愛することはできない、と言ったアンなのに、
どうして彼女のことが気になるのでしょう。〜
21歳の夏休み。
まだ暗いうちから、 "ミス・クセ" は釣り場に向かっていた。
昨日、ホステルの主人から聞いた岩場までは、30分程かかる。
釣竿にビクンと伝わる獲物の動きを思うと、わくわくしてくる。
日が昇るに従って、先客の釣り人達の姿が遠くに見え始めた。
遅れをとっては、と足を速める。
それにしても、よしこさん、 最近ますますおかしい…
"ヨシロー君" に夢中になっていた時は、恋に狂って頭がおかしいのだと
思っていたが、 彼を諦めてからも別の意味でオカシイ。
「 "佐竹" って… だれよ…? 」
昨日、島に来る間も宙に向かって話をしていた。
荷物は佐竹に持たせているからと、自分はバッグひとつ下げたきりだ。
どう考えてもイカれている。
今朝も蒲団から顔だけ出して、妙な事を言っていた。
「一人で釣りに行くのは危険だから、佐竹にお供をさせるわ」
寝ぼけていたのだろう… ミス・クセは、よしこについて考えるのを打ち切った。
適当なポイントを見つけたのだ。
正直、独りで釣りに行ったことはない。
以前カレと、日本海の荒波の打ち上げる岩場に行った事があった。
ライフジャケットを身に付け、カレから教わった通りの手順を確認しながら、
一心に海に向きあった。
カレがいなくても釣りくらい行けるってことを、自分自身に証明するのだ。
ミス・クセはまるで物分りのいい姉のように、カレが黒髪の同級生と旅行に行く事を
知りながら、 "見て見ぬ振り" をした。
行き先が、釣り場とは縁のない所だったからだ。
あの黒髪の同級生は、一緒に釣りをするタイプではない。
日に焼けるとか、餌が気持ち悪いとか言う女に決まっている。
そう結論を出すと、いくらか勝ったような気分になった。
それにしても "アタリ" が来ない… 一匹の小魚でさえも引っかからない。
ミス・クセは、淡々と "引き" を待っていた。
日は高く昇り、ライフジャケットの下で、胸の谷間を汗が流れるのがわかる。
たまらずジャケットを脱いだ。
「カカッタ!」
大物だっ、と思った瞬間、足を取られた。
岩に肩を強かにぶつけ、そのまま水中に頭から落ちていく。
浅いはずの水中から何故か、起き上がる事ができない。
始めから海水を吸い込み、鼻も喉も痛い。
溺れる…
その時、体がふわりと持ち上がった。 真夏の日差しが眼に飛び込む。
「大丈夫でございますか?」
初老の男性だった。 心配そうにミス・クセを見つめている。
「よしこお嬢様に申し付けられて、お供してようございました」
ミス・クセは、あっけに取られて言った。
「あなた… 佐竹…?」
ミス・クセは、佐竹に負ぶわれて帰って来た。
魚は釣れなかったが、そんなことはどうでも良かった。
"佐竹" が見えたのだから。
こうしておんぶされ、今は佐竹が点てたコーヒーを啜って
人心地ついていることに、 なんの違和感もない。
今までどうして存在が見えなかったのか。 ますます不思議だ。
また次の瞬間には、見えなくなってしまうのかしら…
いいえ、 一度見えたら、その存在を知ってしまったら、もう二度と
それを無視することも、無かったことにも出来ないのだ。
佐竹が死んだ、と口にするまでは…。
「いやいや、ドザエモンを引き揚げた岩場で、今度は生きたお嬢様を連れ帰る
ことができて、ホントにようございました」
当の佐竹は満足そうに、ミス・クセに持参した漬物を勧めていた。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
〜アンはついに、夢に描いていた通りの "王子様" に巡り会います。
その名も、ロイヤル・ガードナー。
フランス帰りのお金持ち。
甘いマスクの彼に、アンは恋をしているというのでしょうか。
ギルバートのことを忘れてしまうのでしょうか。〜
21歳の夏休み。
今、アクセル踏んだらトラックに激突して死ぬ…
今、反対にハンドル切ったら崖から転落して、死ぬ…
運転しながら、事故を想像してしまう時がある。
日常の中のある瞬間、別の選択をすれば生が死に切り替わってしまうのだ。
また、人の悩みや苦言のようなシビアな話を聞いている最中に、その話とは
全く関係のない事に神経が行ってしまい、困ることがある。
もしも今、すごく臭いオナラなんか出たら、不謹慎だ…
口紅がはみ出してるけど、今注意せんかったらどんどん話が深刻になり、
キッカケ失う…
しかし、私は悲しいかな、どんなに高尚かつ深刻な悩みに苦しんでいようとも、
頭の中で妙な想像が止まらなくなることがある。
宿泊施設と言っても、浜辺に置いた廃船の一室に蒲団が置いてあるだけである。
本館で食事と入浴を済ませて、 私達は船のデッキに置かれた椅子で
涼しい風に吹かれていた。
船室にはエアコンがないのである。
佐竹は人に預けてきた "糠床" が気になって、電話を掛けに席を立った。
沖を走る船影もなく、星空だけが拡がる夜の海は恐ろしいほど真っ暗で、
波の打ち寄せる音だけが響いていた。
"夜明け前には釣りに出掛けるから早寝する" と言っていたミス・クセは、
じっと海を見つめて一向に寝る様子もない。
「今頃… カレ、あの子と旅行しているはずよ… 」
理想の女の子に出会えたから、我がままを許してくれと言われたそうだ。
相手は私も知っている同級生。 お人形さんみたいな美人だ。
陶器のように白い肌。 柔らかな黒髪がこれまた白い肩に掛かっている。
あれだけ綺麗だったら、頭の中は空っぽでも何の問題もないだろう。
「二股カケルようなまねはしたくないんだってサ」
はぁ… 二股をカケルねぇ…
この言葉が誘発剤になってしまった。
ミス・クセの "カレ" は陸上部で、短距離の選手である。
"いかに記録を更新するか" で、いつも頭が一杯なんだそうだ。
が、私の見る限り…、 カレはちんちくりんで、足が短か過ぎるように思う。
あの体型で記録を更新するには、二股の分岐点を中心にして、扇風機の羽みたいに
高速回転させないといけない。
ホレ、走っている足の見えないマンガみたいだわ…
土煙があがる陸上競技場。
トラックの向こうには黒髪の美人が高速回転で走っている。
汗もかかず、化粧崩れもなく。
後方にはミス・クセが続く。 おっ、釣竿が邪魔だ!
「そんなもの、捨てちゃえ〜」 観衆が叫ぶ。
「カレと生まれて初めて釣りに行って、すごく釣れたのよ。
ビギナーズラックかもしれないけど、カレは悔しがりもしないで言うの。
『キミはフィッシュ・チャーマーなんだよ。 魚が寄ってくるんだ』って…」
えっ〜? ホントに寄ってきたがな… ミス・クセの周りに魚群が迫る。
魚が邪魔で走れない。 おっと、ついに釣竿を捨てた。
しかし既に、カレに大きく水をあけられている。
「それからもうひとつ。 私を花に例えてたら何かしらって聞いてみたらね。
ピンクのカーネーションですって。
後にも先にもこの花の名前しか知らないんですって。 正直な人なのよね」
正直者は馬鹿をみるって言うけど、 近頃では正直者と関わったら、こっちの方が馬鹿をみる。
ウソつけ〜 桜とかチューリップくらい知っとるはずやぁ。 小学校で習うやろが〜。
二股回転走りのカレは、ついに白肌黒髪美人に追いついた。
ところが、回転は急には止まらない。
不本意にも美人にタックルをかけてしまい、美人を巻き込んでの
ものすごいスライディング。
二人ともゼンマイの切れたおもちゃのように無様に止まって、
足だけがいつまでもカタカタと動き続けている。
周囲が暗闇だった事と、ミス・クセが終止私に背を向けていたおかげで、
私はこの深刻な問題を、ちんけなお笑い草に変えてしまった。
それにしても… この島に来る前になんで私に話してくれなかったのよ。
ここへ来る道中だって、たっぷり時間はあったのに。
ずっと、傷ついていたはずなのに。
何でもないフリをしていたのなら、可哀想過ぎる。
友達が傷ついているのに、変な想像した自分が申し訳ない。
「ごめん… あんたの話で… 変な想像して、ごめん」
結局ミス・クセも大笑いしたのだが、その前にキッチリ嫌味を言われたわ。
やっぱり、正直に打ち明ければ許して貰えると思ったら大間違い。
勇気を出して本当の事を話したら、笑われる。
正直だからって、大して良い事がある訳でもない。
自分に正直な人が、 どれだけ周囲に迷惑をかけ、人を傷つけていることか。
所詮私も自分勝手な正直者だ、とガックリしたのである。
No.96 『第25章 私のそまつな想像力』
〜アンはついに、夢に描いていた通りの "王子様" に巡り会います。
その名も、ロイヤル・ガードナー。
フランス帰りのお金持ち。
甘いマスクの彼に、アンは恋をしているというのでしょうか。
ギルバートのことを忘れてしまうのでしょうか。〜
21歳の夏休み。
今、アクセル踏んだらトラックに激突して死ぬ…
今、反対にハンドル切ったら崖から転落して、死ぬ…
運転しながら、事故を想像してしまう時がある。
日常の中のある瞬間、別の選択をすれば生が死に切り替わってしまうのだ。
また、人の悩みや苦言のようなシビアな話を聞いている最中に、その話とは
全く関係のない事に神経が行ってしまい、困ることがある。
もしも今、すごく臭いオナラなんか出たら、不謹慎だ…
口紅がはみ出してるけど、今注意せんかったらどんどん話が深刻になり、
キッカケ失う…
しかし、私は悲しいかな、どんなに高尚かつ深刻な悩みに苦しんでいようとも、
頭の中で妙な想像が止まらなくなることがある。
宿泊施設と言っても、浜辺に置いた廃船の一室に蒲団が置いてあるだけである。
本館で食事と入浴を済ませて、 私達は船のデッキに置かれた椅子で
涼しい風に吹かれていた。
船室にはエアコンがないのである。
佐竹は人に預けてきた "糠床" が気になって、電話を掛けに席を立った。
沖を走る船影もなく、星空だけが拡がる夜の海は恐ろしいほど真っ暗で、
波の打ち寄せる音だけが響いていた。
"夜明け前には釣りに出掛けるから早寝する" と言っていたミス・クセは、
じっと海を見つめて一向に寝る様子もない。
「今頃… カレ、あの子と旅行しているはずよ… 」
理想の女の子に出会えたから、我がままを許してくれと言われたそうだ。
相手は私も知っている同級生。 お人形さんみたいな美人だ。
陶器のように白い肌。 柔らかな黒髪がこれまた白い肩に掛かっている。
あれだけ綺麗だったら、頭の中は空っぽでも何の問題もないだろう。
「二股カケルようなまねはしたくないんだってサ」
はぁ… 二股をカケルねぇ…
この言葉が誘発剤になってしまった。
ミス・クセの "カレ" は陸上部で、短距離の選手である。
"いかに記録を更新するか" で、いつも頭が一杯なんだそうだ。
が、私の見る限り…、 カレはちんちくりんで、足が短か過ぎるように思う。
あの体型で記録を更新するには、二股の分岐点を中心にして、扇風機の羽みたいに
高速回転させないといけない。
ホレ、走っている足の見えないマンガみたいだわ…
土煙があがる陸上競技場。
トラックの向こうには黒髪の美人が高速回転で走っている。
汗もかかず、化粧崩れもなく。
後方にはミス・クセが続く。 おっ、釣竿が邪魔だ!
「そんなもの、捨てちゃえ〜」 観衆が叫ぶ。
「カレと生まれて初めて釣りに行って、すごく釣れたのよ。
ビギナーズラックかもしれないけど、カレは悔しがりもしないで言うの。
『キミはフィッシュ・チャーマーなんだよ。 魚が寄ってくるんだ』って…」
えっ〜? ホントに寄ってきたがな… ミス・クセの周りに魚群が迫る。
魚が邪魔で走れない。 おっと、ついに釣竿を捨てた。
しかし既に、カレに大きく水をあけられている。
「それからもうひとつ。 私を花に例えてたら何かしらって聞いてみたらね。
ピンクのカーネーションですって。
後にも先にもこの花の名前しか知らないんですって。 正直な人なのよね」
正直者は馬鹿をみるって言うけど、 近頃では正直者と関わったら、こっちの方が馬鹿をみる。
ウソつけ〜 桜とかチューリップくらい知っとるはずやぁ。 小学校で習うやろが〜。
二股回転走りのカレは、ついに白肌黒髪美人に追いついた。
ところが、回転は急には止まらない。
不本意にも美人にタックルをかけてしまい、美人を巻き込んでの
ものすごいスライディング。
二人ともゼンマイの切れたおもちゃのように無様に止まって、
足だけがいつまでもカタカタと動き続けている。
周囲が暗闇だった事と、ミス・クセが終止私に背を向けていたおかげで、
私はこの深刻な問題を、ちんけなお笑い草に変えてしまった。
それにしても… この島に来る前になんで私に話してくれなかったのよ。
ここへ来る道中だって、たっぷり時間はあったのに。
ずっと、傷ついていたはずなのに。
何でもないフリをしていたのなら、可哀想過ぎる。
友達が傷ついているのに、変な想像した自分が申し訳ない。
「ごめん… あんたの話で… 変な想像して、ごめん」
結局ミス・クセも大笑いしたのだが、その前にキッチリ嫌味を言われたわ。
やっぱり、正直に打ち明ければ許して貰えると思ったら大間違い。
勇気を出して本当の事を話したら、笑われる。
正直だからって、大して良い事がある訳でもない。
自分に正直な人が、 どれだけ周囲に迷惑をかけ、人を傷つけていることか。
所詮私も自分勝手な正直者だ、とガックリしたのである。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
No.95 『第24章 離れ小島でリゾート?』
〜プロスペクト岬にある、お上品な人向けのリゾートホテルに滞在する
フィルから、アンに手紙が届きました。
ハンサムでお金持ちでなければ結婚しないはずのフィルは、
全く正反対の人を好きになり、戸惑っていたのです。
ブ男で、貧乏な神学生のジョウナスを好きになるなんて…
フィルにとっては "あり得ない" ことだったからです。
でも… どうやら、本気のようです。〜
21歳の夏休み。
私と "ミス・クセ" は、用心棒代わりの "佐竹" を伴って2泊3日の
リゾートに出掛けた。
早い話が "海水浴" だ。
だが、リゾート地でもない "ただの小島" に、しゃれたホテルはない。
釣り客用の民宿が数件と、廃船を利用したユースホステルが
1件あるだけのさびれた島を選んだのには、 理由があった。
79歳の友達 "キヨコ" が、夫と一緒に渡り住んだ島だと聞いて、
どんな所か行ってみたくなったのだ。
当時、島には医者がいなかった。
「無医村と聞いたら、どこにだって行くんですから。
まぁ、着いてみたら、何にもありゃしません」
確かに… 何にも無い…
食事をする店もない。 車が走っていない。
港の反対側にあるユースホステルへは、徒歩で小山を超えるか、
船で行くしかない。
私達は歩くことにした。
「いい釣り場がいっぱいあるじゃないの!」
ミス・クセは、肩に掛けた釣り竿のケースをグイと握りしめて言った。
彼女、付き合っているカレシに釣りを仕込まれたのだ。
「彼のどこがいいの?」
我が儘で子供っぽいカレシ。 頭のいいミス・クセとお似合いとは思えない。
「強いて言えば、私の気付かなかった才能を発掘してくれたからかなぁ…」
「なに、それ?」
「釣りよ。 私、先天的に凄い腕前なのよ」
"釣りの天才" ミス・クセは、真剣な面持ちで釣り道具一式を背負って歩く。
一方、私といえば… 赤いワンピースに白いフリルの付いた日傘という、
なんとも場違いな出で立ちである。
佐竹は荷物を持って、無言で私達の後に続いた。
どう見ても、不思議な3人である。
ユースホステルまでは一本道。
高い木立のない斜面には、背の低いみかんが植えられている。
濃い緑の向こうには、キラキラ輝く夏の青い海が拡がっていた。
アスファルトのような、人工的な物のない所では、 夏の日差しですら優しい。
キヨコは、島の暮らしが結婚生活の中で一番辛かった、と話していた。
看護師が本土から週に一度やって来るのだが、 "居ない時" に限って
けが人が担ぎ込まれて来るからだ。
医師の夫は有無を言わせず、キヨコに手伝わせる。
血を見るのが恐ろしいキヨコは、目を背けながらいやいや傷口を消毒し、
包帯を巻いたそうだ。
「わたしには出来ませんですよ… 海から死体があがるんですけどね。
自殺する方が多くてね。 腐ってどろどろになっておりますでしょ?
掴むとヌルリと肉が剥けて、 そりゃ、かわいそうな姿で。
わたしには見ることも触ることも… とてもできたもんじゃありません」
…って、 見る事も触る事もできないあんたが、何でそれを知ってるんだよ!
夕食を終えて廃船の "ホステル" のデッキでくつろぎながら、私はキヨコの
話をしていた。
佐竹が妙な顔をして、口を挟んで来た。
「その方、田辺さんとおっしゃるのでは?」
「そう、田辺さん…」
「名前はキクさんではございませんか?」
名前は違うが、 どうやら佐竹の言う "キクさん" と "キヨコ" は、
同一人物のようだ。
彼は昔、博打の借金取りから逃げてこの島へ来た時、自殺死体が岩場に
打ちあげられた現場に出くわしたらしい。
中年の女性と何人かの男達が、診療所へ死体を運ぼうとしている。
見物を決め込んでいた佐竹に、女性が声を掛けてきた。
「あなたも手伝いなさい」
佐竹は言われるがままに、手を貸したそうだ。
「気丈な方だと思いましたよ。 腐乱しかけた死体ですから…。
わたくしは、吐きそうでございましたよ」
見るのも触るのも出来ないと言いながら、キヨコは勤めを果たしていたのだ。
佐竹の話によると、その後一週間ほどキヨコの家で世話になったという。
「あなたも自殺しに来たのなら、おやめなさいよ」
キヨコと夫は島で見知らぬ顔の人を見掛けると、家に連れ帰ってタダで宿を貸し、
飲み食いさせていたということだった。
キヨコはいつも隅っこで小さくなっているような人だったが、
実はすごい婆サマなのかも…
私だったら、無医村で医師をする夫と共に献身的に働いた、と
自慢話にするところだが。
辛いから、辛いと言う、 彼女のそんなところが正直でいいなぁと思う。
自分のことで精一杯の私でも、 良い人に出会うこと、あるいは人の良いところを
知る機会がある。
コレって、ツイてるよ。
でも、黙っていよっと。 佐竹がイイ気になるだけだから。
フィルから、アンに手紙が届きました。
ハンサムでお金持ちでなければ結婚しないはずのフィルは、
全く正反対の人を好きになり、戸惑っていたのです。
ブ男で、貧乏な神学生のジョウナスを好きになるなんて…
フィルにとっては "あり得ない" ことだったからです。
でも… どうやら、本気のようです。〜
21歳の夏休み。
私と "ミス・クセ" は、用心棒代わりの "佐竹" を伴って2泊3日の
リゾートに出掛けた。
早い話が "海水浴" だ。
だが、リゾート地でもない "ただの小島" に、しゃれたホテルはない。
釣り客用の民宿が数件と、廃船を利用したユースホステルが
1件あるだけのさびれた島を選んだのには、 理由があった。
79歳の友達 "キヨコ" が、夫と一緒に渡り住んだ島だと聞いて、
どんな所か行ってみたくなったのだ。
当時、島には医者がいなかった。
「無医村と聞いたら、どこにだって行くんですから。
まぁ、着いてみたら、何にもありゃしません」
確かに… 何にも無い…
食事をする店もない。 車が走っていない。
港の反対側にあるユースホステルへは、徒歩で小山を超えるか、
船で行くしかない。
私達は歩くことにした。
「いい釣り場がいっぱいあるじゃないの!」
ミス・クセは、肩に掛けた釣り竿のケースをグイと握りしめて言った。
彼女、付き合っているカレシに釣りを仕込まれたのだ。
「彼のどこがいいの?」
我が儘で子供っぽいカレシ。 頭のいいミス・クセとお似合いとは思えない。
「強いて言えば、私の気付かなかった才能を発掘してくれたからかなぁ…」
「なに、それ?」
「釣りよ。 私、先天的に凄い腕前なのよ」
"釣りの天才" ミス・クセは、真剣な面持ちで釣り道具一式を背負って歩く。
一方、私といえば… 赤いワンピースに白いフリルの付いた日傘という、
なんとも場違いな出で立ちである。
佐竹は荷物を持って、無言で私達の後に続いた。
どう見ても、不思議な3人である。
ユースホステルまでは一本道。
高い木立のない斜面には、背の低いみかんが植えられている。
濃い緑の向こうには、キラキラ輝く夏の青い海が拡がっていた。
アスファルトのような、人工的な物のない所では、 夏の日差しですら優しい。
キヨコは、島の暮らしが結婚生活の中で一番辛かった、と話していた。
看護師が本土から週に一度やって来るのだが、 "居ない時" に限って
けが人が担ぎ込まれて来るからだ。
医師の夫は有無を言わせず、キヨコに手伝わせる。
血を見るのが恐ろしいキヨコは、目を背けながらいやいや傷口を消毒し、
包帯を巻いたそうだ。
「わたしには出来ませんですよ… 海から死体があがるんですけどね。
自殺する方が多くてね。 腐ってどろどろになっておりますでしょ?
掴むとヌルリと肉が剥けて、 そりゃ、かわいそうな姿で。
わたしには見ることも触ることも… とてもできたもんじゃありません」
…って、 見る事も触る事もできないあんたが、何でそれを知ってるんだよ!
夕食を終えて廃船の "ホステル" のデッキでくつろぎながら、私はキヨコの
話をしていた。
佐竹が妙な顔をして、口を挟んで来た。
「その方、田辺さんとおっしゃるのでは?」
「そう、田辺さん…」
「名前はキクさんではございませんか?」
名前は違うが、 どうやら佐竹の言う "キクさん" と "キヨコ" は、
同一人物のようだ。
彼は昔、博打の借金取りから逃げてこの島へ来た時、自殺死体が岩場に
打ちあげられた現場に出くわしたらしい。
中年の女性と何人かの男達が、診療所へ死体を運ぼうとしている。
見物を決め込んでいた佐竹に、女性が声を掛けてきた。
「あなたも手伝いなさい」
佐竹は言われるがままに、手を貸したそうだ。
「気丈な方だと思いましたよ。 腐乱しかけた死体ですから…。
わたくしは、吐きそうでございましたよ」
見るのも触るのも出来ないと言いながら、キヨコは勤めを果たしていたのだ。
佐竹の話によると、その後一週間ほどキヨコの家で世話になったという。
「あなたも自殺しに来たのなら、おやめなさいよ」
キヨコと夫は島で見知らぬ顔の人を見掛けると、家に連れ帰ってタダで宿を貸し、
飲み食いさせていたということだった。
キヨコはいつも隅っこで小さくなっているような人だったが、
実はすごい婆サマなのかも…
私だったら、無医村で医師をする夫と共に献身的に働いた、と
自慢話にするところだが。
辛いから、辛いと言う、 彼女のそんなところが正直でいいなぁと思う。
自分のことで精一杯の私でも、 良い人に出会うこと、あるいは人の良いところを
知る機会がある。
コレって、ツイてるよ。
でも、黙っていよっと。 佐竹がイイ気になるだけだから。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
〜いつもの夏休みなら、 どこに行くにも、何をするときも、
側にはギルバートがいました。
でもこの夏、アンはひとりでした。
ギルバートは、アンに手紙すらよこして来なかったのです。
しかしアンは、この淋しさを気付こうとさえしませんでした。〜
21歳、ママにヤキモチ。
私達ベビーシッターの役目は、 お母様に代わって、依頼された時間だけ
こども達のお世話をすることが目的だ。
だから、お母様の考え方の通りにしなければならない。
「必ず外に連れ出してほしい」 というお母様がいた。
まだ1歳にもならない赤ん坊を、 雨の日も、寒い日もベビーカーに乗せて
連れて歩く。
私達が赤ん坊を預かる日は、"男性が家に来る日" なのだ。
その人が赤ん坊の父親なのか、他人なのか、それはわからない。
とにかく、 "事情" があるのだ。
赤ん坊がかわいそうじゃないですかぁ…
呟く私に、社長が言った。
「かわいそうだからって、かたおか、 あんたが母親になれるのかい?
ひとぉつ! シッターは "ママ" じゃない。
ふたぁつ! お客様のプライバシーを詮索するな。
駐車場の車に置き去りにしてパチンコする親だっているんだ。
シッターに世話を頼むってことは、この母親はちゃんとしてるじゃないの」
"かわいそう" だけでは、こどもを育て上げることはできないのだ。
また、ある母親は赤ん坊をあやしたり、話しかけたりしない。
暗い顔をして黙っていた。 シッターが来るとふらりと何処かへ出掛けてしまう。
私達仲間は、どうしたものかと途方に暮れた。
だが、どんなに愛情を込めて接しても、 母親が帰ってくると、
足をばたばたさせて喜ぶこども…。
なんだか悔しいような、アホらしい様な気になってしまう。
さびしいけれど、ベビーシッターはやっぱり "ママじゃない" のだ。
再婚して、夫の連れ子だった3人の娘の母親になった人がいる。
79歳になる、私のお友達 "キヨコ" 。 最初の夫を結核で亡くした。
「かわいそうでしたよ。 戦争中のことですからね、
薬もなく、だんだん痩せて弱って、亡くなりました」
呉服屋の息子だったそうだ。
西洋の音楽や小説が好きで、 "鬼畜米英" のご時勢にも倉に隠れて
こっそり楽しんでいる様な人だった。
キヨコは最初の夫の話をする時は、瞳をしっとりと濡らして若やいでいた。
夫を亡くして間もなく、戦争が終わった。
キヨコは実家に帰らず、婚家にとどまっていた。
実家はキヨコの兄が後を継ぎ、嫁との間にはこどもが産まれていた。
気を遣う生活も嫌だったが、食いブチを増やすことに気が引けた。
姑もキヨコが家に残ることを喜んでくれたそうだ。
そんな時、医者の居なかった山間の町に医者がやって来た。
女の子3人の子持ちの "やもめ" の医師。 町は彼を大歓迎した。
特に町の教会は喜んだ。
なぜならこの医者は、"長老派のクリスチャン" だったのだ。
教会員は、競って医者の世話を焼いたそうだ。
野菜やら米やらを届けるが、いったい誰が料理するのやら。
12歳の長女に、家の切り盛りができるはずがない。
下の二人の妹の世話をするので手一杯。 進学したくても勉強する暇がない。
オマケに、先生ときたら… よれよれのズボンにくしゃくしゃのシャツ、
その上にシミだらけの白衣をひっかけて、仕上げにおしゃれなソフト帽をかぶり、
年中靴下も履かずに、革靴をつっかけて往診している。
こどもにまともな食事をさせず、コーヒーばかり飲ませていると噂する者もいた。
再婚させるしかない、これが長老達の結論だった。 キヨコに白羽の矢が立った。
「私は、何度説得されてもお断りいたしましたよ。
亡くなった夫が好きでしたからね」
長老達は諦めなかった。
キヨコもクリスチャンだったので、教会へ行く度に再婚話になった。
しかし、キヨコも簡単にうんと言うようなタマではない。
「決心いたしましたよ。 このまま婚家にいたら、いつかは厄介者に
なりますでしょう。
何より、3人の女の子達がかわいそうでね。
こども達には、ちゃんと世話をして、躾をしてやれる人間が必要だと
思いましたよ。
でもそれが、私でなければならないのだと思えるまで、時間がかかりました」
町には他に、 "女" は余るほどいたはずなのに…
つまり相手の女性は、同じ "長老派クリスチャン" でなければならなかったのだ。
そして、その条件を満たすのはキヨコだけだった、と言うわけだ。
ひとつしかない道を、自分の意志で選んで、 キヨコは医者の所に嫁いだ。
"なさぬ仲" のこども達を育てるのは、並大抵の事ではなかったと言う。
「誰かがきちんと育てなければならんでしょ?
善悪の区別を教えてやらねばならんでしょ?
それが継母でも、誰でもいいじゃありませんか」
"かわいそう" だけでは、こどもに向き合う事はできない。
本当の母親でも、母親の責任を自覚できない人が沢山いるのに、
私達、時間で雇われたベビーシッターに何ができるだろうか。
ただひとつ、 こどもと居る時の楽しい時間を作り出すことだけだ。
ママが帰ってきたら、あっさり捨てられる身だけれどね。
社長が面白く言う。
「ホステスさんみたいなもんよ。 結局、本妻のところへ戻るんだからさ」
毎回続く、そんな繰り返しの中で、 私は思った。
こども達の中に、私の記憶など残らなくても良い。
むしろ、消えてしまうようでなければならない、とさえ思う。
楽しかった思い出だけが残ればいい。
だけど、私は覚えている。 こども達、一人一人のこと。
No.94 『第23章 ベビーシッターの定め』
〜いつもの夏休みなら、 どこに行くにも、何をするときも、
側にはギルバートがいました。
でもこの夏、アンはひとりでした。
ギルバートは、アンに手紙すらよこして来なかったのです。
しかしアンは、この淋しさを気付こうとさえしませんでした。〜
21歳、ママにヤキモチ。
私達ベビーシッターの役目は、 お母様に代わって、依頼された時間だけ
こども達のお世話をすることが目的だ。
だから、お母様の考え方の通りにしなければならない。
「必ず外に連れ出してほしい」 というお母様がいた。
まだ1歳にもならない赤ん坊を、 雨の日も、寒い日もベビーカーに乗せて
連れて歩く。
私達が赤ん坊を預かる日は、"男性が家に来る日" なのだ。
その人が赤ん坊の父親なのか、他人なのか、それはわからない。
とにかく、 "事情" があるのだ。
赤ん坊がかわいそうじゃないですかぁ…
呟く私に、社長が言った。
「かわいそうだからって、かたおか、 あんたが母親になれるのかい?
ひとぉつ! シッターは "ママ" じゃない。
ふたぁつ! お客様のプライバシーを詮索するな。
駐車場の車に置き去りにしてパチンコする親だっているんだ。
シッターに世話を頼むってことは、この母親はちゃんとしてるじゃないの」
"かわいそう" だけでは、こどもを育て上げることはできないのだ。
また、ある母親は赤ん坊をあやしたり、話しかけたりしない。
暗い顔をして黙っていた。 シッターが来るとふらりと何処かへ出掛けてしまう。
私達仲間は、どうしたものかと途方に暮れた。
だが、どんなに愛情を込めて接しても、 母親が帰ってくると、
足をばたばたさせて喜ぶこども…。
なんだか悔しいような、アホらしい様な気になってしまう。
さびしいけれど、ベビーシッターはやっぱり "ママじゃない" のだ。
再婚して、夫の連れ子だった3人の娘の母親になった人がいる。
79歳になる、私のお友達 "キヨコ" 。 最初の夫を結核で亡くした。
「かわいそうでしたよ。 戦争中のことですからね、
薬もなく、だんだん痩せて弱って、亡くなりました」
呉服屋の息子だったそうだ。
西洋の音楽や小説が好きで、 "鬼畜米英" のご時勢にも倉に隠れて
こっそり楽しんでいる様な人だった。
キヨコは最初の夫の話をする時は、瞳をしっとりと濡らして若やいでいた。
夫を亡くして間もなく、戦争が終わった。
キヨコは実家に帰らず、婚家にとどまっていた。
実家はキヨコの兄が後を継ぎ、嫁との間にはこどもが産まれていた。
気を遣う生活も嫌だったが、食いブチを増やすことに気が引けた。
姑もキヨコが家に残ることを喜んでくれたそうだ。
そんな時、医者の居なかった山間の町に医者がやって来た。
女の子3人の子持ちの "やもめ" の医師。 町は彼を大歓迎した。
特に町の教会は喜んだ。
なぜならこの医者は、"長老派のクリスチャン" だったのだ。
教会員は、競って医者の世話を焼いたそうだ。
野菜やら米やらを届けるが、いったい誰が料理するのやら。
12歳の長女に、家の切り盛りができるはずがない。
下の二人の妹の世話をするので手一杯。 進学したくても勉強する暇がない。
オマケに、先生ときたら… よれよれのズボンにくしゃくしゃのシャツ、
その上にシミだらけの白衣をひっかけて、仕上げにおしゃれなソフト帽をかぶり、
年中靴下も履かずに、革靴をつっかけて往診している。
こどもにまともな食事をさせず、コーヒーばかり飲ませていると噂する者もいた。
再婚させるしかない、これが長老達の結論だった。 キヨコに白羽の矢が立った。
「私は、何度説得されてもお断りいたしましたよ。
亡くなった夫が好きでしたからね」
長老達は諦めなかった。
キヨコもクリスチャンだったので、教会へ行く度に再婚話になった。
しかし、キヨコも簡単にうんと言うようなタマではない。
「決心いたしましたよ。 このまま婚家にいたら、いつかは厄介者に
なりますでしょう。
何より、3人の女の子達がかわいそうでね。
こども達には、ちゃんと世話をして、躾をしてやれる人間が必要だと
思いましたよ。
でもそれが、私でなければならないのだと思えるまで、時間がかかりました」
町には他に、 "女" は余るほどいたはずなのに…
つまり相手の女性は、同じ "長老派クリスチャン" でなければならなかったのだ。
そして、その条件を満たすのはキヨコだけだった、と言うわけだ。
ひとつしかない道を、自分の意志で選んで、 キヨコは医者の所に嫁いだ。
"なさぬ仲" のこども達を育てるのは、並大抵の事ではなかったと言う。
「誰かがきちんと育てなければならんでしょ?
善悪の区別を教えてやらねばならんでしょ?
それが継母でも、誰でもいいじゃありませんか」
"かわいそう" だけでは、こどもに向き合う事はできない。
本当の母親でも、母親の責任を自覚できない人が沢山いるのに、
私達、時間で雇われたベビーシッターに何ができるだろうか。
ただひとつ、 こどもと居る時の楽しい時間を作り出すことだけだ。
ママが帰ってきたら、あっさり捨てられる身だけれどね。
社長が面白く言う。
「ホステスさんみたいなもんよ。 結局、本妻のところへ戻るんだからさ」
毎回続く、そんな繰り返しの中で、 私は思った。
こども達の中に、私の記憶など残らなくても良い。
むしろ、消えてしまうようでなければならない、とさえ思う。
楽しかった思い出だけが残ればいい。
だけど、私は覚えている。 こども達、一人一人のこと。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
No.93 『第22章 寝たきりのシノさん』
〜春休み、アンは予定より一日早くアヴォンリーへ帰ってきました。
驚きながらも大喜びのマリラ。 愛情を込めてアンを抱きしめるのでした。
大好きなグリーンゲーブルズ。
でもこの春、ギルバートは帰って来ません。
アンがギルバートを "愛せない" と拒絶した日から、
アンの心にもギルバートは戻って来ないのでしょうか…〜
21歳、女の逞しさを知る。
自称 "寝たきり" の "シノさん" は、居間の真ん中に万年床を敷いている。
人工透析を受けると大変疲れるそうだ。
買い物にも出て行けず、炊事もままならない、ゴミを捨てに外に出ることさえ
できない、 と情けなさそうにグチる。
茶道の先生をしていたと言うシノさんのお宅は、 茶室のある、実に立派な造りだ。
玄関には立派な掛け軸があった… とおぼしき所に、こんな "張り紙" が訪問者を
歓迎する。
"せっかくですが、糖尿病のため、手土産のお菓子はお断り致します。"
台所は更にスゴイことになっている。
"食べたら死ぬぞ"
壁に3箇所貼ってある。
冷蔵庫のは、ちょっと気が利いている。
"オヌシ、また、食べるのか、死んでもよいのだな"
"冷蔵庫は地獄への門"
"心にも しっかり締めよう カロリー計算" (?)
これって、交通標語のパクリよなぁ…
私がゴミの片付けや掃除をする間、シノさんは万年床に座卓を差し込んで、
くつろいでいる。
だがあくまで病人らしい、弱々しい声で、 指示を出す。
「鍋や洗面器をごしごし擦って磨かなくてもよろしいのよ。
時間がもったいないでしょ。 汚れたら新しいのを買ってくださいな」
どうりで… 台所の鍋、道具、雑貨は新品同様。 風呂場の洗面器までピカピカ。
手間をかけるより、100円ショップで買った方がいいのだそうだ。
「100円の安物と私の命と、どちらが長持ちするかですわ」 だってさ。
宅配の配達が呼び鈴を鳴らす。
「上がって頂いて下さいな。 電球を取り替えて頂きましょうよ。 ねぇ?
高い所は危ないから、あなたにさせるわけにはいきませんからね」
って、シノさん… その宅配屋が危ないかもしれないのであって…
しかし、心配は無用。 そのおにいちゃん、これが初めてではないと判った。
壁掛け時計の電池やら蛍光灯の取替やらで、使われ慣れていたのだ。
郵便配達のおにいちゃんも、重宝に使っているらしい。
「男手は必要よねぇ〜」 と、涼しい顔である。
買い物の時は、リストに書かれた品物について細かく確認をしてから、
近所の商店街へ行く。
人の買い物をするというのは、かなりやっかいだ。
商品がなかったり、いい品でない時はどうするかまで打合せしておかないと、
はたと困ってしまう。
レシートを見せて、釣銭を勘定して渡す。
「あなたの家は近いのですか?」
私は前もって、先輩のシッターさんに聞いていた。
シノさんは会社を通さずに "個人的に" 来てくれる、近場の人を探しているらしい。
へ〜 しっかりしている。
ある日、私は見てしまった。
本当にシノさんがしっかりして居られる姿を…
商店街を、買い物車を押しながらではあるが…、達者に歩いているではないか。
"寝たきり" なんかであるもんですか。
シノさ〜んっ! 声を掛けると、おっ! ギクッとした!
「まぁ、私、 こんな体でも一人でしょ…
こうして無理にでも動くと、また寝込んでしまうのよ。
あなたのように、お若い方にはお分かりにならないでしょうけれどねぇ」
買い物車に目を落とすと、野菜や果物に混ざって "和菓子屋の包み" が嬉しそうに
存在をアピールしている。
たまには和菓子のひとつも食べなきゃ、楽しみがない。
シノさんと私は "そうだよねぇ" と、眼で語り合って笑った。
一日三食、 その上に二度のおやつを食べたとしても、シノさんは長生きすると私は思う。
一人で暮らす知恵と、バイタリティーがあるからだ。
望みは人を元気にしてくれる。
どんな望みであれ、それが本人の心からの希望であれば叶えられて欲しい。
"一食でも多く食べて逝きたい"。 それがシノさんの望みだ。
驚きながらも大喜びのマリラ。 愛情を込めてアンを抱きしめるのでした。
大好きなグリーンゲーブルズ。
でもこの春、ギルバートは帰って来ません。
アンがギルバートを "愛せない" と拒絶した日から、
アンの心にもギルバートは戻って来ないのでしょうか…〜
21歳、女の逞しさを知る。
自称 "寝たきり" の "シノさん" は、居間の真ん中に万年床を敷いている。
人工透析を受けると大変疲れるそうだ。
買い物にも出て行けず、炊事もままならない、ゴミを捨てに外に出ることさえ
できない、 と情けなさそうにグチる。
茶道の先生をしていたと言うシノさんのお宅は、 茶室のある、実に立派な造りだ。
玄関には立派な掛け軸があった… とおぼしき所に、こんな "張り紙" が訪問者を
歓迎する。
"せっかくですが、糖尿病のため、手土産のお菓子はお断り致します。"
台所は更にスゴイことになっている。
"食べたら死ぬぞ"
壁に3箇所貼ってある。
冷蔵庫のは、ちょっと気が利いている。
"オヌシ、また、食べるのか、死んでもよいのだな"
"冷蔵庫は地獄への門"
"心にも しっかり締めよう カロリー計算" (?)
これって、交通標語のパクリよなぁ…
私がゴミの片付けや掃除をする間、シノさんは万年床に座卓を差し込んで、
くつろいでいる。
だがあくまで病人らしい、弱々しい声で、 指示を出す。
「鍋や洗面器をごしごし擦って磨かなくてもよろしいのよ。
時間がもったいないでしょ。 汚れたら新しいのを買ってくださいな」
どうりで… 台所の鍋、道具、雑貨は新品同様。 風呂場の洗面器までピカピカ。
手間をかけるより、100円ショップで買った方がいいのだそうだ。
「100円の安物と私の命と、どちらが長持ちするかですわ」 だってさ。
宅配の配達が呼び鈴を鳴らす。
「上がって頂いて下さいな。 電球を取り替えて頂きましょうよ。 ねぇ?
高い所は危ないから、あなたにさせるわけにはいきませんからね」
って、シノさん… その宅配屋が危ないかもしれないのであって…
しかし、心配は無用。 そのおにいちゃん、これが初めてではないと判った。
壁掛け時計の電池やら蛍光灯の取替やらで、使われ慣れていたのだ。
郵便配達のおにいちゃんも、重宝に使っているらしい。
「男手は必要よねぇ〜」 と、涼しい顔である。
買い物の時は、リストに書かれた品物について細かく確認をしてから、
近所の商店街へ行く。
人の買い物をするというのは、かなりやっかいだ。
商品がなかったり、いい品でない時はどうするかまで打合せしておかないと、
はたと困ってしまう。
レシートを見せて、釣銭を勘定して渡す。
「あなたの家は近いのですか?」
私は前もって、先輩のシッターさんに聞いていた。
シノさんは会社を通さずに "個人的に" 来てくれる、近場の人を探しているらしい。
へ〜 しっかりしている。
ある日、私は見てしまった。
本当にシノさんがしっかりして居られる姿を…
商店街を、買い物車を押しながらではあるが…、達者に歩いているではないか。
"寝たきり" なんかであるもんですか。
シノさ〜んっ! 声を掛けると、おっ! ギクッとした!
「まぁ、私、 こんな体でも一人でしょ…
こうして無理にでも動くと、また寝込んでしまうのよ。
あなたのように、お若い方にはお分かりにならないでしょうけれどねぇ」
買い物車に目を落とすと、野菜や果物に混ざって "和菓子屋の包み" が嬉しそうに
存在をアピールしている。
たまには和菓子のひとつも食べなきゃ、楽しみがない。
シノさんと私は "そうだよねぇ" と、眼で語り合って笑った。
一日三食、 その上に二度のおやつを食べたとしても、シノさんは長生きすると私は思う。
一人で暮らす知恵と、バイタリティーがあるからだ。
望みは人を元気にしてくれる。
どんな望みであれ、それが本人の心からの希望であれば叶えられて欲しい。
"一食でも多く食べて逝きたい"。 それがシノさんの望みだ。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
〜アンはフィル・ゴードンの屋敷 "ひいらぎ荘" で、楽しい二週間を過ごします。
馬車の遠乗り、ダンス、ピクニック、舟遊び。
ギルバートのことを考えると、何かが痛んだけれど、
毎日続くお祭り騒ぎの中で、彼の事を考える時間はありませんでした。〜
21歳、お年寄りの気持ちはわからない。
ここが市内なのかと思うほど、田舎じみた風景の中の一軒家に、
"源爺" は一人で住んでいる。
実際、たぬきが餌をねだりに来るらしい。
夕食が終わった頃、勝手口の辺りまで子連れでやって来て、じっとこちらを
見ているので、 源爺が食べ残した魚やら、野菜の煮付けやらを投げてやると、
「おおきに」 も言わずに口に咥えて、裏山へ帰っていくのだそうだ。
「かわいげのないもんじゃなぁ。 "畜生" ゆうもんは…
それにしても、たぬきのどんべえ、 小そうて、かわいいなぁ。
目に入れても痛うないほどじゃなぁ…」
源爺、 "ミニどんべえ" を手で撫でるように、眺め回している。
レギュラーサイズの "どんべえ" は食べきれないとぼやくので、"ミニ" を買ってみた。
これなら残さずに済むが、畜生のたぬきはおこぼれに与れなくなるだろう。
他に頼まれた買い物は、 お造りとパックのご飯1週間分、それにバナナ。
源爺は電子レンジで温めるだけのご飯が、大のお気に入りだ。
姉妹品の赤飯も大好きだ。
「下手な女房の炊いた飯よりうまいからのぅ」
と、ほくほく顔である。 死んだばあさんが聞いたら何というやら。
源爺は10年前に女房に先立たれ、それ以後ずっと一人暮らしだ。
二人の息子は他県で働いて所帯を持っているという。
近くに住む妹が、ちょいちょい顔を出しては何かと世話を焼いていたのだが、
その妹も80歳を超え、自分の足元もおぼつかなくなり、
我が社に腕利きのお手伝いさんシッターを依頼したという訳だ。
その腕利きの一人がこの "わたし" (?)とは、笑わせる。
「あんた、割烹着姿は結構老けて見えるじゃないの。 大丈夫、ベテランの28歳でとおるわ」
いやいや、とおらないって、 社長。
私はベビーシッターですから。
それにお年寄り… しかも男の年寄りは苦手なのよ!
男は歳をとっても "男" を感じさせる時があって、私はそれが怖かったのだ。
と言うのも、祖父が亡くなる前に自宅で療養していた時のことだ。
珍しく四男夫婦が子供を連れて、泊りがけで遊びに来た。
狭い部屋に蒲団を敷き詰めて、騒ぎまわる子供達。
色白でふくよかな嫁の顔がうっすらと上気して、ピンクのモヘヤのセーターが
一層可愛らしさを引き立てていた。
「おばちゃん、きれいだなぁ…」 そう思ったのは私だけではなかった。
それまで黙って、火鉢にあたりながら一杯飲んでいた祖父が、何気に呟いたのを
私は聞き逃さなかった。
「かわいいのぅ…」
それは、孫達に向けた言葉ではなかった。
その時の祖父の表情、艶かしい目つき。 私は忘れない。
年老いた男が、若い女を見る目とはこういうのを言うのだと、私はその顔を
覚えておく事にしたのだった。
源爺は "ひっつき虫" だった。 21歳の小娘にとっては、充分イヤラシイ。
振り向くと真後ろに立っていたり、味噌汁を温める私の側に寄ってきて、
鍋を覗き込んだりする。
その度に、私の心は 「ギャ!」 と叫んだ。
とにかく、 物珍しそうにうろつき回って、私をビビらせていた。
源爺の家の中は、まるでゴミ捨て場だ。 足の踏み場がない。
女房に先立たれた一人暮らしの男とは、 こうもやりたい放題の野放し状態なのか…??
好きな物だけを食べ、くだらない不用な買い物を楽しみ、出したら出しっぱなし、
ゴミは床に置きっぱなし。
嫁にうるさく言われない限り、男は衛生的かつ健康的な生活すら出来ないのだから、あきれる。
それに加えて、若い女を目で追う目つき。
私が嫁だったら、 「あんた! 何みてるの! みっともない!」
女房の "睨み" と "小言" は、 度を越さなければ男には程良い "抑止力" に
なるのかもしれない。
源爺の台所はゴミの山。 何が出てくるかわからん…
死んだばあさんの食べかけたジャムとか…。
"5年前の牛乳" なんて、学会で発表したいものだ。 匂いもしない、ツルンとしたヨーグルト状。
去年の "おせち" は手付かずで、テーブルに放置されている。
私が浦島太郎でも、蓋は開けたくない。
「片付けんでええ、後でワシがするから。 ばあさんが生きとったらのぅ…」
そう言うけど、 源爺…。
さっきから私の後ろを金魚のフンみたいに、ついて廻ってるでしょうが!
あ〜もぅ うっとうしい!
もしばあさんが生きてたら、嬉しそうに私の後をついて廻るなんてマネは、
ゼ ッ タ イ に で き ま せ ん。
No.92 『第21章 "源爺"』
〜アンはフィル・ゴードンの屋敷 "ひいらぎ荘" で、楽しい二週間を過ごします。
馬車の遠乗り、ダンス、ピクニック、舟遊び。
ギルバートのことを考えると、何かが痛んだけれど、
毎日続くお祭り騒ぎの中で、彼の事を考える時間はありませんでした。〜
21歳、お年寄りの気持ちはわからない。
ここが市内なのかと思うほど、田舎じみた風景の中の一軒家に、
"源爺" は一人で住んでいる。
実際、たぬきが餌をねだりに来るらしい。
夕食が終わった頃、勝手口の辺りまで子連れでやって来て、じっとこちらを
見ているので、 源爺が食べ残した魚やら、野菜の煮付けやらを投げてやると、
「おおきに」 も言わずに口に咥えて、裏山へ帰っていくのだそうだ。
「かわいげのないもんじゃなぁ。 "畜生" ゆうもんは…
それにしても、たぬきのどんべえ、 小そうて、かわいいなぁ。
目に入れても痛うないほどじゃなぁ…」
源爺、 "ミニどんべえ" を手で撫でるように、眺め回している。
レギュラーサイズの "どんべえ" は食べきれないとぼやくので、"ミニ" を買ってみた。
これなら残さずに済むが、畜生のたぬきはおこぼれに与れなくなるだろう。
他に頼まれた買い物は、 お造りとパックのご飯1週間分、それにバナナ。
源爺は電子レンジで温めるだけのご飯が、大のお気に入りだ。
姉妹品の赤飯も大好きだ。
「下手な女房の炊いた飯よりうまいからのぅ」
と、ほくほく顔である。 死んだばあさんが聞いたら何というやら。
源爺は10年前に女房に先立たれ、それ以後ずっと一人暮らしだ。
二人の息子は他県で働いて所帯を持っているという。
近くに住む妹が、ちょいちょい顔を出しては何かと世話を焼いていたのだが、
その妹も80歳を超え、自分の足元もおぼつかなくなり、
我が社に腕利きのお手伝いさんシッターを依頼したという訳だ。
その腕利きの一人がこの "わたし" (?)とは、笑わせる。
「あんた、割烹着姿は結構老けて見えるじゃないの。 大丈夫、ベテランの28歳でとおるわ」
いやいや、とおらないって、 社長。
私はベビーシッターですから。
それにお年寄り… しかも男の年寄りは苦手なのよ!
男は歳をとっても "男" を感じさせる時があって、私はそれが怖かったのだ。
と言うのも、祖父が亡くなる前に自宅で療養していた時のことだ。
珍しく四男夫婦が子供を連れて、泊りがけで遊びに来た。
狭い部屋に蒲団を敷き詰めて、騒ぎまわる子供達。
色白でふくよかな嫁の顔がうっすらと上気して、ピンクのモヘヤのセーターが
一層可愛らしさを引き立てていた。
「おばちゃん、きれいだなぁ…」 そう思ったのは私だけではなかった。
それまで黙って、火鉢にあたりながら一杯飲んでいた祖父が、何気に呟いたのを
私は聞き逃さなかった。
「かわいいのぅ…」
それは、孫達に向けた言葉ではなかった。
その時の祖父の表情、艶かしい目つき。 私は忘れない。
年老いた男が、若い女を見る目とはこういうのを言うのだと、私はその顔を
覚えておく事にしたのだった。
源爺は "ひっつき虫" だった。 21歳の小娘にとっては、充分イヤラシイ。
振り向くと真後ろに立っていたり、味噌汁を温める私の側に寄ってきて、
鍋を覗き込んだりする。
その度に、私の心は 「ギャ!」 と叫んだ。
とにかく、 物珍しそうにうろつき回って、私をビビらせていた。
源爺の家の中は、まるでゴミ捨て場だ。 足の踏み場がない。
女房に先立たれた一人暮らしの男とは、 こうもやりたい放題の野放し状態なのか…??
好きな物だけを食べ、くだらない不用な買い物を楽しみ、出したら出しっぱなし、
ゴミは床に置きっぱなし。
嫁にうるさく言われない限り、男は衛生的かつ健康的な生活すら出来ないのだから、あきれる。
それに加えて、若い女を目で追う目つき。
私が嫁だったら、 「あんた! 何みてるの! みっともない!」
女房の "睨み" と "小言" は、 度を越さなければ男には程良い "抑止力" に
なるのかもしれない。
源爺の台所はゴミの山。 何が出てくるかわからん…
死んだばあさんの食べかけたジャムとか…。
"5年前の牛乳" なんて、学会で発表したいものだ。 匂いもしない、ツルンとしたヨーグルト状。
去年の "おせち" は手付かずで、テーブルに放置されている。
私が浦島太郎でも、蓋は開けたくない。
「片付けんでええ、後でワシがするから。 ばあさんが生きとったらのぅ…」
そう言うけど、 源爺…。
さっきから私の後ろを金魚のフンみたいに、ついて廻ってるでしょうが!
あ〜もぅ うっとうしい!
もしばあさんが生きてたら、嬉しそうに私の後をついて廻るなんてマネは、
ゼ ッ タ イ に で き ま せ ん。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
〜 ギルバートがついに告白をしました。
「きみを愛している。 いつか僕のところに来てくれると約束してくれるかい?」
アンの答えは?
「世界じゅうであなたが一番好きよ。」
でも、それは友達として。 ギルバートは落胆して去っていきました。
アンは、ギルバートのいない世界で生きることがどんなに寂しいかを
かみしめるのでした。 〜
21歳、人の死に出会う。
上野さん… あなたは幸せでしたか?
派遣された家庭の事情を、勝手に詮索してはいけないけれど、
なぜ、どうして、 と思うことがある。
"上野さん" の奥様に初めてお目にかかったのは、主治医から病状説明を
受けるために病院に付き添った日だった。
「上野さんの息子さん、すらっとしてハンサムよ〜 奥さんに似たんだわ。
ありゃぁ、上野さんの血は一滴も入ってないわ」
社長の言葉の通り、 上野さんより頭ひとつは背の高い彼女は、きりっとした美人だった。
私と挨拶を交わすと、上野さんの手を無理やり引っ張るように、病室に消えて行った。
彼は、まるで母親に連れられた子供のように、黙って引かれて行った。
上野さんを奥様の手に引き渡した時の、彼女の鋭い視線。
なによ、あの態度。 まるで、不倫相手だとでも思っているみたいじゃないのよ。
誰があんなブ男と援助交際なんかするもんですか!
仕事ででもなきゃ、誰も相手にせんワ!
ともかくそれが、奥様に会った "最初で最後" 。
私は上野さんのお葬式に行かなかった。
初七日を過ぎ、 社長とご挨拶に伺った時も奥様の姿はなかった。
なんだか冷たい人だな、 というのが率直な印象だった。
上野さんが亡くなる、前日。
いつものように、病院で待ち合わせることになっていた。
当日になって、迎えに来てほしいとの連絡。 具合が良くないらしい。
家の中に、初めて入る。
南向きの明るい部屋にお蒲団が敷いてあり、上野さんが着替えをして座っている。
静かなクラシック音楽が流れている。
タクシーを待つ間、彼はお手洗いを済ませてくる、と席を立った。
手持ち無沙汰の私は、隣室にあったマホガニー色のピアノに引き寄せられ、
鍵盤を叩いてみた。
サティの "3つのジムノペディ" のメロディーを弾いたところで、バタンと音がした。
風呂場で上野さんが倒れたのだ。 二階にいた息子さんが慌てて降りてきた。
えっ? 息子さんがいたの?
息子さんがいるなら、私を付き添いに呼ばなくてもいいのでは。
正直、不可解だった。 ハンサムな息子さんが救急車を呼んだ。
救急隊員がゴム長を履いている。
なんで? こんな非常時に… 素朴な疑問が通り過ぎる。
「なにか、掛けてあげて下さい」
隊員の声に、上野さんが下半身はだかのことに気づく。
えっ? 私が救急車に乗るの? なんでぇ〜? 家族じゃないのにぃ〜
生まれて初めて乗る救急車の乗り心地は、すこぶる悪い。
「上野さん! しっかりしてください! わかりますか? わかりますか?」
病院に着くと、看護師さんは意識の確認に余念が無い。
白いベッドの上で彼は目をつぶったまま、小さく頷く。
お別れの時が来たんだ。
顔見知りの看護師さんが、 とうとう帰って来たねと小声で呟いた。
しばらくして息子さんが、上野さんの奥様を伴って到着し、 "仕事で付き添う"
私の出番は終わった。
病院に送り届ける 終了時間 14:00
その日の夜、 "佐竹" と遅くまでお酒を飲んだ。
「私たちだけのお通夜になるのでしょうか?」 と佐竹が言う。
まだ、亡くなると決まったわけじゃないでしょ。
家族があるのに、なんでウチの会社に付き添いを頼むんだろう。
詮索したくなってしまう。 何か、訳があるはずだ。
でも、上野さんは何にも言わないし、社長も 「知らない」 と言う。
考えるに、ひとつは彼なりの思いやりと遠慮だったのでは、と思う。
上野さんの奥様も、重い糖尿病で人工透析を受けていた。
彼女へのいたわりの気持ちと、私は考えたい。
もうひとつ、 我慢強く紳士的な彼は、人に甘える事を潔しとしなかったのでは
ないかとも思う。
でも、 ブッチャけても良かったんじゃないの、 上野さん。
家族には本当の気持ちをぶつけてた?
さびしいとか、辛いとか、痛くて不安だとか… 我がまま言って、甘えてた?
できんかったんだろうなぁ、 と思う。
だって、声の素敵な "男前" だもんね。 乱れた所は見せられませんってか。
この世に、 揃って健康で、障害もない夫婦が何組いるだろうか。
そして、 そのうちの何組が、病気もせず最後まで添い遂げられるだろうか。
病気の時はもちろん、 いつも "正味の自分" で生きていたい。
苦しい時には、あたり散らして困らせたい。
逆に相手が病気の時は、あたり散らされて泣きたい。
人生は "男前" より、 "ブ男" の方がきっとオモロイ。
上野さん、 次は "男前" に生まれ変わって、 "ブ男" な人生を送りなよ。
そう祈らずにはおられない。
No.91 『第20章 上野さん、亡くなる』
〜 ギルバートがついに告白をしました。
「きみを愛している。 いつか僕のところに来てくれると約束してくれるかい?」
アンの答えは?
「世界じゅうであなたが一番好きよ。」
でも、それは友達として。 ギルバートは落胆して去っていきました。
アンは、ギルバートのいない世界で生きることがどんなに寂しいかを
かみしめるのでした。 〜
21歳、人の死に出会う。
上野さん… あなたは幸せでしたか?
派遣された家庭の事情を、勝手に詮索してはいけないけれど、
なぜ、どうして、 と思うことがある。
"上野さん" の奥様に初めてお目にかかったのは、主治医から病状説明を
受けるために病院に付き添った日だった。
「上野さんの息子さん、すらっとしてハンサムよ〜 奥さんに似たんだわ。
ありゃぁ、上野さんの血は一滴も入ってないわ」
社長の言葉の通り、 上野さんより頭ひとつは背の高い彼女は、きりっとした美人だった。
私と挨拶を交わすと、上野さんの手を無理やり引っ張るように、病室に消えて行った。
彼は、まるで母親に連れられた子供のように、黙って引かれて行った。
上野さんを奥様の手に引き渡した時の、彼女の鋭い視線。
なによ、あの態度。 まるで、不倫相手だとでも思っているみたいじゃないのよ。
誰があんなブ男と援助交際なんかするもんですか!
仕事ででもなきゃ、誰も相手にせんワ!
ともかくそれが、奥様に会った "最初で最後" 。
私は上野さんのお葬式に行かなかった。
初七日を過ぎ、 社長とご挨拶に伺った時も奥様の姿はなかった。
なんだか冷たい人だな、 というのが率直な印象だった。
上野さんが亡くなる、前日。
いつものように、病院で待ち合わせることになっていた。
当日になって、迎えに来てほしいとの連絡。 具合が良くないらしい。
家の中に、初めて入る。
南向きの明るい部屋にお蒲団が敷いてあり、上野さんが着替えをして座っている。
静かなクラシック音楽が流れている。
タクシーを待つ間、彼はお手洗いを済ませてくる、と席を立った。
手持ち無沙汰の私は、隣室にあったマホガニー色のピアノに引き寄せられ、
鍵盤を叩いてみた。
サティの "3つのジムノペディ" のメロディーを弾いたところで、バタンと音がした。
風呂場で上野さんが倒れたのだ。 二階にいた息子さんが慌てて降りてきた。
えっ? 息子さんがいたの?
息子さんがいるなら、私を付き添いに呼ばなくてもいいのでは。
正直、不可解だった。 ハンサムな息子さんが救急車を呼んだ。
救急隊員がゴム長を履いている。
なんで? こんな非常時に… 素朴な疑問が通り過ぎる。
「なにか、掛けてあげて下さい」
隊員の声に、上野さんが下半身はだかのことに気づく。
えっ? 私が救急車に乗るの? なんでぇ〜? 家族じゃないのにぃ〜
生まれて初めて乗る救急車の乗り心地は、すこぶる悪い。
「上野さん! しっかりしてください! わかりますか? わかりますか?」
病院に着くと、看護師さんは意識の確認に余念が無い。
白いベッドの上で彼は目をつぶったまま、小さく頷く。
お別れの時が来たんだ。
顔見知りの看護師さんが、 とうとう帰って来たねと小声で呟いた。
しばらくして息子さんが、上野さんの奥様を伴って到着し、 "仕事で付き添う"
私の出番は終わった。
病院に送り届ける 終了時間 14:00
その日の夜、 "佐竹" と遅くまでお酒を飲んだ。
「私たちだけのお通夜になるのでしょうか?」 と佐竹が言う。
まだ、亡くなると決まったわけじゃないでしょ。
家族があるのに、なんでウチの会社に付き添いを頼むんだろう。
詮索したくなってしまう。 何か、訳があるはずだ。
でも、上野さんは何にも言わないし、社長も 「知らない」 と言う。
考えるに、ひとつは彼なりの思いやりと遠慮だったのでは、と思う。
上野さんの奥様も、重い糖尿病で人工透析を受けていた。
彼女へのいたわりの気持ちと、私は考えたい。
もうひとつ、 我慢強く紳士的な彼は、人に甘える事を潔しとしなかったのでは
ないかとも思う。
でも、 ブッチャけても良かったんじゃないの、 上野さん。
家族には本当の気持ちをぶつけてた?
さびしいとか、辛いとか、痛くて不安だとか… 我がまま言って、甘えてた?
できんかったんだろうなぁ、 と思う。
だって、声の素敵な "男前" だもんね。 乱れた所は見せられませんってか。
この世に、 揃って健康で、障害もない夫婦が何組いるだろうか。
そして、 そのうちの何組が、病気もせず最後まで添い遂げられるだろうか。
病気の時はもちろん、 いつも "正味の自分" で生きていたい。
苦しい時には、あたり散らして困らせたい。
逆に相手が病気の時は、あたり散らされて泣きたい。
人生は "男前" より、 "ブ男" の方がきっとオモロイ。
上野さん、 次は "男前" に生まれ変わって、 "ブ男" な人生を送りなよ。
そう祈らずにはおられない。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
〜ジェムジーナおばさんはお年寄りだけれど、
心はまだ18歳のままなのです。
そして、いつも大切な事を教えてくれます。
「神様と隣人と自らの命じる義務を果たして、人生を楽しみなさい」
「愛してもいない人と結婚するものではありませんよ」〜
21歳、援助交際ごっこ?
希望を失った時、人は死ぬ。
全盲の "上野さん" は、肝臓ガンだった。
盲学校で針灸の教師をしていた。
最初の手術の後、職場に復帰できたのを喜んでいたが、1年後に再発。
休職して病院通いが始まった。
我が社では、シルバー・シッターの派遣もしていた。
聞こえはいいが、お年寄りのためのお手伝いさんの事だ。
他にも、障害者の "外出の付き添い" などもやっていた。
派遣業というのは儲かる職種ではなく、シッターに時給と交通費を払ったら
利益はほとんど残らないのだ。
とにかく何でもやって、 "数" をこなさなければならない。
「かたおか〜 上野さんは "いい声" なのよ。
どんだけハンサムかと思ったら…。 ショックだったわぁ」
なるほど… 上野さんは小さくて、ずんぐりして、 松本清張にそっくりだった。
つまり、そのぅ…、 正真正銘の "ブ男" だったのだ。
生まれつき目の見えない人は、全盲の中では "エリート" だと思う。
見えているかのように歩き、躊躇なく手を出して物を掴むのに、
私は驚かされた事がある。
しかし、 徐々に視力を失った上野さんは、何をするにも慎重に動く人だった。
「片岡さん、あなたは美人なんでしょうねぇ」
盲人にとって "美人" とは、声のきれいな人のことだと教えてくれた。
となると、 上野さんは "ハンサム" だということになる…。
ある日の事。
職場に復帰できるかどうかを審議する "審問会" に、付き添って出掛けた。
しかし、審問の結果は彼の期待を裏切るものだった。
病人とは思えない足取りで歩いていた上野さんが、本当に病人らしく変わって
しまう。
毎回、結構な金額をつぎ込んでいた宝くじを買わなくなった。
病院帰りには好物の鰻やお寿司を食べて、デザートにソフトクリームを3口で
平らげていたのに。
「僕は食べられないから、あなたが代わりに食べて下さい」
私が食べているのを見るのが (実際見えないのだが) 嬉しいから、
食べて欲しいと言われ、 小食の私もいつになく頑張って食べた。
おいしいです〜ぅ、を連発しながらね。
そうこうしているうちに、 病院に行く日以外にも付き添いの予約が入るようになった。
デパ地下で買い物をして、鰻やお寿司を食べる。
昼間だというのにビールも飲みなさいと、強引に勧められたりした。
同じ年頃のおじさまの心理は、 "佐竹" に任せろ、だわ。
「上野さまは、 "援助交際ごっこ" をなさっておられるのでは…?」
なに〜ぃ! そうなのか〜ぁ?
援助交際だなんて、 "ごっこ" にしろ、上野さんにそう思われているとしたら、
私は不愉快だわ。
あんなブ男のおじさんと付き合ってるって、周りから見られてたのかと思うと、
ゾッとする。
どう見ても "金目当て" 、って感じだもの…
とは言え、 ご指名で予約が入れば、断るわけにはいかない。
あぁ〜 つらいわぁ…
ある日、病院から出された薬を確認した上野さんが言った。
「これを貰うようになったら、最期です」
その薬は、末期の患者に出される "死の宣告" だったのだ。
上野さんが職場に復帰できていたら、もっと長く、元気で居られたに違いない、と
私は今でも信じている。
審問委員はバカ揃いなんだ。
彼は針灸の先生なのだから、自分の病気がどの程度進んでいるかくらいは
把握していただろう。
普通の病人ならいざ知らず、 実際彼は、職場に復帰して仕事をこなす方法を
知っていた。
痛みのある時は自分で針を打ち、サルノコシカケとかの漢方薬を取り寄せたり…。
意外に効果があるのは、クラシック音楽を聴くことなのだそうだ。
良くなる望みのない病人は、何に希望を見出して生きろというのだろう。
段々と無口になる上野さんから、私は何一つ聞きだすことは出来なかった。
もし佐竹の言うように "ごっこ" をしていたのなら、私がうわついたお調子者で、
更にベテランでも何でもない "21歳の小娘" だった事を、私は感謝する。
ふわふわとおじさまと付き合うには、もってこいのキャラだもの。
だって、タダ飯を食べさせて貰って、スクラッチの宝くじで大騒ぎして、
それなりに結構楽しかったんだから。
希望を失うと、人は死ぬ。
でも、 希望がなくても健康であれば、人は生きていける。
しかし、希望がなければ生きている甲斐がない。
No.90 『第19章 上野さん』
〜ジェムジーナおばさんはお年寄りだけれど、
心はまだ18歳のままなのです。
そして、いつも大切な事を教えてくれます。
「神様と隣人と自らの命じる義務を果たして、人生を楽しみなさい」
「愛してもいない人と結婚するものではありませんよ」〜
21歳、援助交際ごっこ?
希望を失った時、人は死ぬ。
全盲の "上野さん" は、肝臓ガンだった。
盲学校で針灸の教師をしていた。
最初の手術の後、職場に復帰できたのを喜んでいたが、1年後に再発。
休職して病院通いが始まった。
我が社では、シルバー・シッターの派遣もしていた。
聞こえはいいが、お年寄りのためのお手伝いさんの事だ。
他にも、障害者の "外出の付き添い" などもやっていた。
派遣業というのは儲かる職種ではなく、シッターに時給と交通費を払ったら
利益はほとんど残らないのだ。
とにかく何でもやって、 "数" をこなさなければならない。
「かたおか〜 上野さんは "いい声" なのよ。
どんだけハンサムかと思ったら…。 ショックだったわぁ」
なるほど… 上野さんは小さくて、ずんぐりして、 松本清張にそっくりだった。
つまり、そのぅ…、 正真正銘の "ブ男" だったのだ。
生まれつき目の見えない人は、全盲の中では "エリート" だと思う。
見えているかのように歩き、躊躇なく手を出して物を掴むのに、
私は驚かされた事がある。
しかし、 徐々に視力を失った上野さんは、何をするにも慎重に動く人だった。
「片岡さん、あなたは美人なんでしょうねぇ」
盲人にとって "美人" とは、声のきれいな人のことだと教えてくれた。
となると、 上野さんは "ハンサム" だということになる…。
ある日の事。
職場に復帰できるかどうかを審議する "審問会" に、付き添って出掛けた。
しかし、審問の結果は彼の期待を裏切るものだった。
病人とは思えない足取りで歩いていた上野さんが、本当に病人らしく変わって
しまう。
毎回、結構な金額をつぎ込んでいた宝くじを買わなくなった。
病院帰りには好物の鰻やお寿司を食べて、デザートにソフトクリームを3口で
平らげていたのに。
「僕は食べられないから、あなたが代わりに食べて下さい」
私が食べているのを見るのが (実際見えないのだが) 嬉しいから、
食べて欲しいと言われ、 小食の私もいつになく頑張って食べた。
おいしいです〜ぅ、を連発しながらね。
そうこうしているうちに、 病院に行く日以外にも付き添いの予約が入るようになった。
デパ地下で買い物をして、鰻やお寿司を食べる。
昼間だというのにビールも飲みなさいと、強引に勧められたりした。
同じ年頃のおじさまの心理は、 "佐竹" に任せろ、だわ。
「上野さまは、 "援助交際ごっこ" をなさっておられるのでは…?」
なに〜ぃ! そうなのか〜ぁ?
援助交際だなんて、 "ごっこ" にしろ、上野さんにそう思われているとしたら、
私は不愉快だわ。
あんなブ男のおじさんと付き合ってるって、周りから見られてたのかと思うと、
ゾッとする。
どう見ても "金目当て" 、って感じだもの…
とは言え、 ご指名で予約が入れば、断るわけにはいかない。
あぁ〜 つらいわぁ…
ある日、病院から出された薬を確認した上野さんが言った。
「これを貰うようになったら、最期です」
その薬は、末期の患者に出される "死の宣告" だったのだ。
上野さんが職場に復帰できていたら、もっと長く、元気で居られたに違いない、と
私は今でも信じている。
審問委員はバカ揃いなんだ。
彼は針灸の先生なのだから、自分の病気がどの程度進んでいるかくらいは
把握していただろう。
普通の病人ならいざ知らず、 実際彼は、職場に復帰して仕事をこなす方法を
知っていた。
痛みのある時は自分で針を打ち、サルノコシカケとかの漢方薬を取り寄せたり…。
意外に効果があるのは、クラシック音楽を聴くことなのだそうだ。
良くなる望みのない病人は、何に希望を見出して生きろというのだろう。
段々と無口になる上野さんから、私は何一つ聞きだすことは出来なかった。
もし佐竹の言うように "ごっこ" をしていたのなら、私がうわついたお調子者で、
更にベテランでも何でもない "21歳の小娘" だった事を、私は感謝する。
ふわふわとおじさまと付き合うには、もってこいのキャラだもの。
だって、タダ飯を食べさせて貰って、スクラッチの宝くじで大騒ぎして、
それなりに結構楽しかったんだから。
希望を失うと、人は死ぬ。
でも、 希望がなくても健康であれば、人は生きていける。
しかし、希望がなければ生きている甲斐がない。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
No.89 『第18章 三人兄弟』
〜一人で生きていけるだけのお金があれば、あんな男と一緒に居なくて
済むのに…
村の奥様方の、そんな会話を小耳に挟んだデイビーは、
素朴な疑問に行き当たります。
アンとギルバートは結婚する、あの二人は間違いない、
リンド夫人からそう聞かされていたデイビーは、アンに尋ねました。
「一人で生きていけるだけのお金があったら、アンはギルバートと
結婚しないの?」
アンはミス・バリーから、1000ドルの遺産を贈られていたのです。〜
21歳、タダ働きにも精を出す。
こどもは大人が思うよりずっと物事がよく分かっていて、こどもなりに
気を遣っているのだ、と私は思う。
少なくとも "私のお客のこども達" は、"空気を読む子が多かったように思う。
三人兄弟が父親と暮らす家は、閑静な住宅地にある。
「女房が家を出て行っちまって…。 末っ子を幼稚園に迎えに行って、
あとは上の二人が小学校から帰って来るまで、見てて欲しいんですよ。
夜は "ばあさん" に頼んであるから大丈夫なんで。」
父親は旅行代理店を経営している。
融通の利く立場なので、末っ子のお迎えを何とかこなしていたのだが…
「あの "お迎え" ってのがどうも苦手で… ついこの間まで、女房が
行ってたでしょうが。 僕が行くと "お母様方" の好奇の視線が… どうもね…
そういうのは、まっぴらだからねぇ」
え〜え〜 分かりますとも。
"ひろ" のおにいちゃんも通っている、名門幼稚園。
"お母様方" は筋金入りの暇なセレブ。 既に充分、 "噂" になっているはずだ。
我が社でも売れっ子のシッターが担当に決まり、私は彼女の都合がつかない時の
"補欠" になった。
「ただいま〜」
私も "お母様方" 同様、男所帯の家の切り盛りがどの程度なのか、好奇心はある。
しかし、意外にも家の中はよく片付いていた。
末っ子は真っ先に台所に直行した。
テーブルには、三人分のおやつがちゃんと用意されている。
汚れた茶碗が流しに放置されてるのでは? ない… 全部洗ってあった…。
冷蔵庫には、 「弁当のおかずを買うこと」 なんてメモまで貼ってあって…
へぇ〜 ヤルなぁ…!
私は指示されたことを思い出して、大急ぎで父親に "ファックス" を送った。
13:40 帰宅
園の先生からの言付けはありません。
シッター報告書とは別に、帰宅したことをファックスで知らせるように
言われていたのだ。
こんな指示は今まで一度も経験したことがなかった。
母親は子供が園から帰ってきたかどうか、気にならないのだろうか…
ふと思ってしまった。
先にお姉ちゃんが帰って来た。
「へぇ〜 いつもの先生じゃないんだぁ」
と言う顔をしながらも、冷蔵庫からジュースを出して私に勧めてくれる。
どんなゲームが好きだとか、こんな事できる?とか、 "お近付き" になって
いる間に、長男が帰宅。
ここで、二人の帰宅をファックスで報告して、 私の仕事は 「終わり」 である。
その前に、 お兄ちゃんに言い聞かせておかなければ。
一人で自転車で遊びに行っては駄目だって。 パパの言いつけだからね。
長男とお姉ちゃんが宿題に取り掛かるのを見届けて、私が帰ろうとした時、
長男が言った。
「4時まで僕らが帰ってこなかったことにして、もうちょっと居てくれない?
だって、こどもが三人になったらお金が倍かかるんでしょ。 パパが言ってたよ。
僕たち宿題するから、 先生に見ててもらわなくてもいいからさ」
あ〜もう、 泣かせるなぁ…
でも、3時20分に帰宅したってファックスしちゃったから、 内緒でサービスは
できないよ。
ベビーシッターってのは、時間で買われた身の上なのだ。
三人の視線が一斉に、私に注がれた。
これで 「おしごとだから」 などと割り切って帰るほど、私はベテランじゃない。
そんなこと、できません。
「バスの時間まで30分あるから、ここで本でも読んで待ってていいかなぁ?」
私は宿題を見てあげたり、本を読んであげたりして時を過ごした。
そして、 シッター報告書には 「終了時間 15:30」 と記入した。
「これからいっつも30分、タダ働きすることになるわよ!」
社長には叱られたけど、 私はあの三人兄弟が好きになってしまったのだから
仕方がない。
母親が居ないからかわいそうだ、 そんなありきたりな気持ちで
タダ働きなんかしない。
一所懸命なお父さんの、 ごくありふれた、フツウの可愛い、三人兄弟。
私はただ、 そんなこども達が好きになってしまっただけなのよ。
済むのに…
村の奥様方の、そんな会話を小耳に挟んだデイビーは、
素朴な疑問に行き当たります。
アンとギルバートは結婚する、あの二人は間違いない、
リンド夫人からそう聞かされていたデイビーは、アンに尋ねました。
「一人で生きていけるだけのお金があったら、アンはギルバートと
結婚しないの?」
アンはミス・バリーから、1000ドルの遺産を贈られていたのです。〜
21歳、タダ働きにも精を出す。
こどもは大人が思うよりずっと物事がよく分かっていて、こどもなりに
気を遣っているのだ、と私は思う。
少なくとも "私のお客のこども達" は、"空気を読む子が多かったように思う。
三人兄弟が父親と暮らす家は、閑静な住宅地にある。
「女房が家を出て行っちまって…。 末っ子を幼稚園に迎えに行って、
あとは上の二人が小学校から帰って来るまで、見てて欲しいんですよ。
夜は "ばあさん" に頼んであるから大丈夫なんで。」
父親は旅行代理店を経営している。
融通の利く立場なので、末っ子のお迎えを何とかこなしていたのだが…
「あの "お迎え" ってのがどうも苦手で… ついこの間まで、女房が
行ってたでしょうが。 僕が行くと "お母様方" の好奇の視線が… どうもね…
そういうのは、まっぴらだからねぇ」
え〜え〜 分かりますとも。
"ひろ" のおにいちゃんも通っている、名門幼稚園。
"お母様方" は筋金入りの暇なセレブ。 既に充分、 "噂" になっているはずだ。
我が社でも売れっ子のシッターが担当に決まり、私は彼女の都合がつかない時の
"補欠" になった。
「ただいま〜」
私も "お母様方" 同様、男所帯の家の切り盛りがどの程度なのか、好奇心はある。
しかし、意外にも家の中はよく片付いていた。
末っ子は真っ先に台所に直行した。
テーブルには、三人分のおやつがちゃんと用意されている。
汚れた茶碗が流しに放置されてるのでは? ない… 全部洗ってあった…。
冷蔵庫には、 「弁当のおかずを買うこと」 なんてメモまで貼ってあって…
へぇ〜 ヤルなぁ…!
私は指示されたことを思い出して、大急ぎで父親に "ファックス" を送った。
13:40 帰宅
園の先生からの言付けはありません。
シッター報告書とは別に、帰宅したことをファックスで知らせるように
言われていたのだ。
こんな指示は今まで一度も経験したことがなかった。
母親は子供が園から帰ってきたかどうか、気にならないのだろうか…
ふと思ってしまった。
先にお姉ちゃんが帰って来た。
「へぇ〜 いつもの先生じゃないんだぁ」
と言う顔をしながらも、冷蔵庫からジュースを出して私に勧めてくれる。
どんなゲームが好きだとか、こんな事できる?とか、 "お近付き" になって
いる間に、長男が帰宅。
ここで、二人の帰宅をファックスで報告して、 私の仕事は 「終わり」 である。
その前に、 お兄ちゃんに言い聞かせておかなければ。
一人で自転車で遊びに行っては駄目だって。 パパの言いつけだからね。
長男とお姉ちゃんが宿題に取り掛かるのを見届けて、私が帰ろうとした時、
長男が言った。
「4時まで僕らが帰ってこなかったことにして、もうちょっと居てくれない?
だって、こどもが三人になったらお金が倍かかるんでしょ。 パパが言ってたよ。
僕たち宿題するから、 先生に見ててもらわなくてもいいからさ」
あ〜もう、 泣かせるなぁ…
でも、3時20分に帰宅したってファックスしちゃったから、 内緒でサービスは
できないよ。
ベビーシッターってのは、時間で買われた身の上なのだ。
三人の視線が一斉に、私に注がれた。
これで 「おしごとだから」 などと割り切って帰るほど、私はベテランじゃない。
そんなこと、できません。
「バスの時間まで30分あるから、ここで本でも読んで待ってていいかなぁ?」
私は宿題を見てあげたり、本を読んであげたりして時を過ごした。
そして、 シッター報告書には 「終了時間 15:30」 と記入した。
「これからいっつも30分、タダ働きすることになるわよ!」
社長には叱られたけど、 私はあの三人兄弟が好きになってしまったのだから
仕方がない。
母親が居ないからかわいそうだ、 そんなありきたりな気持ちで
タダ働きなんかしない。
一所懸命なお父さんの、 ごくありふれた、フツウの可愛い、三人兄弟。
私はただ、 そんなこども達が好きになってしまっただけなのよ。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
No.88 『第17章 "みさき"』
〜物価が高くなるのを嘆くフィルに、パティーの家のお世話係ともいえる
ジェムジーナおばさまは言いました。
「空気と神様の救いは、まだタダですからね。」
それに、アンが付け加えます。 「笑うのもね。」〜
21歳、アルバイトに精を出す。
赤ちゃんには、どの程度の記憶力があるのだろう。
何をしてやっても、覚えていないんだろうな…
赤ちゃんのモノ覚えがよくて、 「先日は遊んでくれてありがとう」 などと
言われたら、それこそ気味が悪い。
覚えていないから助かることも多いのよね。
人見知りの始まってない赤ちゃんの "お客" に当たると、ラッキーって感じだ。
ミルクを飲ませてオムツを換えたら、眠ってしまう。
後は… 本でも読みながら、ママの帰りを待てばいい。
1歳になったばかりの "みさき" は、 まるまると太って、元気一杯だった。
どちらかと言うと、ブサイクな部類に入るのだが…。
「みさき〜 あんた、その服似合わんよなぁ」
ママは "みさき" の器量が悪いのを判っているのか、単なる趣味なのか…
とても可愛らしい服を着せていた。
ベビーピンクのロンパースには、 "許せる量" をはるかに越えたフリルとレースの
飾りが付いており、 更に要所要所にはリボンと花飾りがちりばめられている。
まさに、フリフリの服を着せられた "ピンクのだるま" のようだ。
「あんた、ブサイクやね〜」
笑顔で陽気に話しかけると、嬉しそうにキャッキャッと笑う。
「かわいそうに、パパに似たんだぁ〜」
抱っこして眼が合うと、また笑う。 とっても可愛い。
でも今日は、ゆっくりしていられない。
ママが出掛けるのを待って、私はミルクとオムツを入れた大きなバッグを肩に、
みさきを抱いてマンションを出た。
"ミッチ" とカレシの "和宮" に呼び出されていたのだ。
「どうしても今日話さなければならない事」 って、なんなんだろう。
白いワーゲンが停まっている。 "和宮" の車だ。
ミッチは助手席でふてくされた様な顔をして、ムッツリしている。
なんか嫌な空気である。 私にはサッパリわからんわ。
ケーキ屋さんの喫茶に入る。
和宮は、ミッチの "ご学友" である私をかなり大切にしてくれていた。
この店にも、三人で何度か来たことがある。
学生には贅沢な、レストランの食事をご馳走になることもあった。
私の見解では、 彼にとってミッチとの事は "念の入った遊び" だし、
彼の本性は "極めて不誠実" だ。
が、 "ミッチの彼氏" だ。 私には関係ない。
いきなり、だった。
「よしこさん、彼をどう思っているの?」
どうやら、和宮と私のことを誤解しているのだわ。
私は、ミッチの下宿を勉強部屋代わりに使っていたので、 彼とは部屋で
しょっちゅう一緒になったし、 ミッチが留守の間は二人きりで過ごした事も
何度かあった。
ミッチはそれを誤解しているに違いない。
「彼が、よしこさんの事が好きだから、私と別れるって言うんだけど。
心当たりあるでしょ?」
心当たりなんてない。 全然ない。
大体、彼がそんな素振りを見せたことはない。
断じてない、と私は言い切った。
なんか、 変な絵だった。
化粧の濃いミッチと、不誠実そうな男、
その側に、ブサイクな "ピンクだるまの赤ちゃん" を膝に乗せた私…
「子供をダシに愛人と夫の手を切らせようとしている妻の絵」 じゃないですか。
沈黙の時が永遠に続くかと思われた。
ぶ〜 ぶ ぶっ〜
みさきは唇と舌を元気よく動かして、ぶ〜という音を出すのに熱中していた。
その度に大量のヨダレが… ゴージャスな服はヨダレでべちゃべちゃ…
みさきは、ほんとに可愛い。
「小さいこどもの前で、よくそんな話ができるものね。
これはミッチと和宮さん、二人の問題でしょ。
私には全く、関 係 あ り ま せ ん か ら!」
二人を残して私は店を出た。
が、しかし… どうやって帰るんだ??
仕方ない… 自腹でタクシーに乗るしかないわ。
みさきは、心地良い車の振動に誘われて、 すやすやと眠っている。
幸いなことに、みさきには "あんな修羅場" は理解出来ないし、
記憶にも残らないだろう。
だが、分からないから何をしてもいいというのは違う、と
私はミッチと和宮に言っているんだ。
怒りや嫉妬の空気は伝わっている、と私は思うのだ。
赤ちゃんの無意識な記憶の中に、そんなマイナスの感情が刻まれないよう、
どうして配慮できないのだろうか。
みさき… ごめんね。
こんな話だって知っていたら、あんたを連れては行かなかったのよ。
タクシー代にシッター料金は全部持って行かれて、私はタダ働き。
それ相当の罰を受けた訳だから、神様もお許し下さるだろう。
それにしても、 "罪深き" はあの二人。
あれからどうなったのか… 私の知った事じゃないわ。
ジェムジーナおばさまは言いました。
「空気と神様の救いは、まだタダですからね。」
それに、アンが付け加えます。 「笑うのもね。」〜
21歳、アルバイトに精を出す。
赤ちゃんには、どの程度の記憶力があるのだろう。
何をしてやっても、覚えていないんだろうな…
赤ちゃんのモノ覚えがよくて、 「先日は遊んでくれてありがとう」 などと
言われたら、それこそ気味が悪い。
覚えていないから助かることも多いのよね。
人見知りの始まってない赤ちゃんの "お客" に当たると、ラッキーって感じだ。
ミルクを飲ませてオムツを換えたら、眠ってしまう。
後は… 本でも読みながら、ママの帰りを待てばいい。
1歳になったばかりの "みさき" は、 まるまると太って、元気一杯だった。
どちらかと言うと、ブサイクな部類に入るのだが…。
「みさき〜 あんた、その服似合わんよなぁ」
ママは "みさき" の器量が悪いのを判っているのか、単なる趣味なのか…
とても可愛らしい服を着せていた。
ベビーピンクのロンパースには、 "許せる量" をはるかに越えたフリルとレースの
飾りが付いており、 更に要所要所にはリボンと花飾りがちりばめられている。
まさに、フリフリの服を着せられた "ピンクのだるま" のようだ。
「あんた、ブサイクやね〜」
笑顔で陽気に話しかけると、嬉しそうにキャッキャッと笑う。
「かわいそうに、パパに似たんだぁ〜」
抱っこして眼が合うと、また笑う。 とっても可愛い。
でも今日は、ゆっくりしていられない。
ママが出掛けるのを待って、私はミルクとオムツを入れた大きなバッグを肩に、
みさきを抱いてマンションを出た。
"ミッチ" とカレシの "和宮" に呼び出されていたのだ。
「どうしても今日話さなければならない事」 って、なんなんだろう。
白いワーゲンが停まっている。 "和宮" の車だ。
ミッチは助手席でふてくされた様な顔をして、ムッツリしている。
なんか嫌な空気である。 私にはサッパリわからんわ。
ケーキ屋さんの喫茶に入る。
和宮は、ミッチの "ご学友" である私をかなり大切にしてくれていた。
この店にも、三人で何度か来たことがある。
学生には贅沢な、レストランの食事をご馳走になることもあった。
私の見解では、 彼にとってミッチとの事は "念の入った遊び" だし、
彼の本性は "極めて不誠実" だ。
が、 "ミッチの彼氏" だ。 私には関係ない。
いきなり、だった。
「よしこさん、彼をどう思っているの?」
どうやら、和宮と私のことを誤解しているのだわ。
私は、ミッチの下宿を勉強部屋代わりに使っていたので、 彼とは部屋で
しょっちゅう一緒になったし、 ミッチが留守の間は二人きりで過ごした事も
何度かあった。
ミッチはそれを誤解しているに違いない。
「彼が、よしこさんの事が好きだから、私と別れるって言うんだけど。
心当たりあるでしょ?」
心当たりなんてない。 全然ない。
大体、彼がそんな素振りを見せたことはない。
断じてない、と私は言い切った。
なんか、 変な絵だった。
化粧の濃いミッチと、不誠実そうな男、
その側に、ブサイクな "ピンクだるまの赤ちゃん" を膝に乗せた私…
「子供をダシに愛人と夫の手を切らせようとしている妻の絵」 じゃないですか。
沈黙の時が永遠に続くかと思われた。
ぶ〜 ぶ ぶっ〜
みさきは唇と舌を元気よく動かして、ぶ〜という音を出すのに熱中していた。
その度に大量のヨダレが… ゴージャスな服はヨダレでべちゃべちゃ…
みさきは、ほんとに可愛い。
「小さいこどもの前で、よくそんな話ができるものね。
これはミッチと和宮さん、二人の問題でしょ。
私には全く、関 係 あ り ま せ ん か ら!」
二人を残して私は店を出た。
が、しかし… どうやって帰るんだ??
仕方ない… 自腹でタクシーに乗るしかないわ。
みさきは、心地良い車の振動に誘われて、 すやすやと眠っている。
幸いなことに、みさきには "あんな修羅場" は理解出来ないし、
記憶にも残らないだろう。
だが、分からないから何をしてもいいというのは違う、と
私はミッチと和宮に言っているんだ。
怒りや嫉妬の空気は伝わっている、と私は思うのだ。
赤ちゃんの無意識な記憶の中に、そんなマイナスの感情が刻まれないよう、
どうして配慮できないのだろうか。
みさき… ごめんね。
こんな話だって知っていたら、あんたを連れては行かなかったのよ。
タクシー代にシッター料金は全部持って行かれて、私はタダ働き。
それ相当の罰を受けた訳だから、神様もお許し下さるだろう。
それにしても、 "罪深き" はあの二人。
あれからどうなったのか… 私の知った事じゃないわ。

