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赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
「アンの青春」を読んだのは数十年振りなのに、私はヘスター・グレーの物語を
忘れてはいなかった。
ヘスター・グレー。 なんとロマンチックな響きなんだろう。
夫と二人、野原と森以外なんにもない所で暮らし、そして花に埋もれて
亡くなったヘスター…。
花を育て、花に囲まれ短い生涯を閉じる。
若くて美しい娘と若者が恋をして死ぬ…
これほど悲しく、美しいお話はない。
ヘスター、 私はその名前を呟く。 たちまち私は秘密の花園へそっと滑り込む。
花園はロマンスと夢に溢れ、私は少女のままで時は止まる。
ヘスター・グレーの物語は、今もロマンチックな香りに満ちている。
ロマンチックってどんなことだと思う? それは不思議な物語のこと。
「なんて、ロマンチックなの…」
その時から物語は始まる。
彼女はどこでジョーダン・グレーと巡り逢ったのかしら…
ボストンの町の小さなレストラン、 ジョーダンはそこで働いていた
美しいヘスターに心を奪われたのだ。
彼女は、その気になればお金持ちの男と結婚して、裕福な生活を
手に入れられるほど、人目を惹く美人だったのに、 街の暮らしには
興味がなかった。
娘らしいロマンスを夢みることより、 生まれ故郷の懐かしい森や
草原のことばかり考えて暮らしていた。
体の弱い彼女は、 長くは生きられないような気がしていたのだ。
ジョーダンは毎日、このレストランに通い、 いつも同じ料理を注文した。
ジョーダンが店に入ってくると、彼女が目配せする。
「いつもの…」
ジョーダンの眼は笑っていた。
「どうしていつも同じものなの? 他にも美味しい料理は沢山あるのよ。」
「新しい料理を試すより、安心して食べられるいつもの一皿がいいんだ。」
物語はこうして始まり、 私の目の前には野菜と肉を煮込んだ料理が、
青い花模様の厚手の皿に盛られて、湯気を立てている。
傷だらけで曇った銀色のスプーンとフォークを、私は緑のクロスの上に並べる。
無骨なこの男には、故郷の匂いがする。
ヘスターは、たまらなく懐かしくなってしまうのだ。
事件は起こった。
身寄りのないヘスターは、たった一人の叔母と暮らしていた。
ある日、荷馬車の積み荷の材木が崩れ落ち、 その下敷きになった叔母が
亡くなってしまったのだ。
病院に駆けつけたヘスターの前に、 ジョーダンの姿があった。
荷馬車にはジョーダンが乗っていたのだ。
「もう二度と目の前に現れないで」
ヘスターは怒りと悲しみに駆られていた。
それでもジョーダンは、彼女のいるレストランに通い続けた。
彼女は決して眼をあわせてはくれなかったが、それでも良かったのだ。
そして、テーブルには "いつもの料理" が運ばれた。
しばらくして、ヘスターが店に出なくなった。
ジョーダンが、支配人から聞き出した住所に彼女を訪ねると、
古びたアパートの玄関先に二つの人影が見えた…
「ここを売り払うことにしたんでね。なんでも、壊して新しい建物に
するとか言ってたね。 悪いけど、今月一杯で出て行って欲しいんだ。」
ヘスターには、 他に行く所は何処にもなかったのだ。
話を聞きながらジョーダンは、ひとつの決心をした。
ヘスターと結婚し、アヴォンリーへ連れて帰ろう…
私は、現実には孤独ではないが、 時には一人ぼっちでいる人のように、
空を見上げることがある。
ヘスターはどうして、ジョーダンと結婚する気持ちになったのかしら…
最後の時を迎えるなら、こんな街では耐えられないと彼女は思う。
風に揺れる木立のざわめきと、花々の慰めの言葉もない世界で、
私の身体より先に魂が死んでしまう。
これが愛と言えるのかどうか判らないけれど、ヘスターはジョーダンの背中の
向こうに拡がる、森と野原のある世界に連れ出して貰おうと思ったのだ。
こうして二人は、アヴォンリーに戻り、 結婚した…
アンはどんな物語を心に浮かべ、ヘスターに思いを馳せたのだろう。
No.54 『第13章 秘密の花園』
「アンの青春」を読んだのは数十年振りなのに、私はヘスター・グレーの物語を
忘れてはいなかった。
ヘスター・グレー。 なんとロマンチックな響きなんだろう。
夫と二人、野原と森以外なんにもない所で暮らし、そして花に埋もれて
亡くなったヘスター…。
花を育て、花に囲まれ短い生涯を閉じる。
若くて美しい娘と若者が恋をして死ぬ…
これほど悲しく、美しいお話はない。
ヘスター、 私はその名前を呟く。 たちまち私は秘密の花園へそっと滑り込む。
花園はロマンスと夢に溢れ、私は少女のままで時は止まる。
ヘスター・グレーの物語は、今もロマンチックな香りに満ちている。
ロマンチックってどんなことだと思う? それは不思議な物語のこと。
「なんて、ロマンチックなの…」
その時から物語は始まる。
彼女はどこでジョーダン・グレーと巡り逢ったのかしら…
ボストンの町の小さなレストラン、 ジョーダンはそこで働いていた
美しいヘスターに心を奪われたのだ。
彼女は、その気になればお金持ちの男と結婚して、裕福な生活を
手に入れられるほど、人目を惹く美人だったのに、 街の暮らしには
興味がなかった。
娘らしいロマンスを夢みることより、 生まれ故郷の懐かしい森や
草原のことばかり考えて暮らしていた。
体の弱い彼女は、 長くは生きられないような気がしていたのだ。
ジョーダンは毎日、このレストランに通い、 いつも同じ料理を注文した。
ジョーダンが店に入ってくると、彼女が目配せする。
「いつもの…」
ジョーダンの眼は笑っていた。
「どうしていつも同じものなの? 他にも美味しい料理は沢山あるのよ。」
「新しい料理を試すより、安心して食べられるいつもの一皿がいいんだ。」
物語はこうして始まり、 私の目の前には野菜と肉を煮込んだ料理が、
青い花模様の厚手の皿に盛られて、湯気を立てている。
傷だらけで曇った銀色のスプーンとフォークを、私は緑のクロスの上に並べる。
無骨なこの男には、故郷の匂いがする。
ヘスターは、たまらなく懐かしくなってしまうのだ。
事件は起こった。
身寄りのないヘスターは、たった一人の叔母と暮らしていた。
ある日、荷馬車の積み荷の材木が崩れ落ち、 その下敷きになった叔母が
亡くなってしまったのだ。
病院に駆けつけたヘスターの前に、 ジョーダンの姿があった。
荷馬車にはジョーダンが乗っていたのだ。
「もう二度と目の前に現れないで」
ヘスターは怒りと悲しみに駆られていた。
それでもジョーダンは、彼女のいるレストランに通い続けた。
彼女は決して眼をあわせてはくれなかったが、それでも良かったのだ。
そして、テーブルには "いつもの料理" が運ばれた。
しばらくして、ヘスターが店に出なくなった。
ジョーダンが、支配人から聞き出した住所に彼女を訪ねると、
古びたアパートの玄関先に二つの人影が見えた…
「ここを売り払うことにしたんでね。なんでも、壊して新しい建物に
するとか言ってたね。 悪いけど、今月一杯で出て行って欲しいんだ。」
ヘスターには、 他に行く所は何処にもなかったのだ。
話を聞きながらジョーダンは、ひとつの決心をした。
ヘスターと結婚し、アヴォンリーへ連れて帰ろう…
私は、現実には孤独ではないが、 時には一人ぼっちでいる人のように、
空を見上げることがある。
ヘスターはどうして、ジョーダンと結婚する気持ちになったのかしら…
最後の時を迎えるなら、こんな街では耐えられないと彼女は思う。
風に揺れる木立のざわめきと、花々の慰めの言葉もない世界で、
私の身体より先に魂が死んでしまう。
これが愛と言えるのかどうか判らないけれど、ヘスターはジョーダンの背中の
向こうに拡がる、森と野原のある世界に連れ出して貰おうと思ったのだ。
こうして二人は、アヴォンリーに戻り、 結婚した…
アンはどんな物語を心に浮かべ、ヘスターに思いを馳せたのだろう。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
人生とは何と退屈で、カビが生えたようにつまらないんだろう…。
今日一日、 たぶん昨日とほとんど変わらない日が始まろうとしている。
ここ何ヶ月かは、「赤毛のアン」 のことが頭を離れなくなってしまった。
次は何を書こうか…、 そればかり考えている。
「赤毛のアン」 について書き始める前は、 時間は全部、私のものだった。
朝は登ってくる真っ赤な太陽を横目に、 夕方は茜色の雲に向かって
車を走らせながら、下手な句など詠んでみたりしていたのに…
夕飯の 鍋の中身は あかね色
クリオネの月 微妙に温し 凍る朝
ぼんやり空を眺めては、 心に浮かぶことは皆、もう次の瞬間には
忘れてしまうけれど、 その景色が悲しい色に染まらない一日が大切だった。
せっかくの真新しい一日に、どうせロクなことはないと決めつけたら
失礼な気がする。
それでは、自分でカビを植え付けているようなものだ。
「赤毛のアン」 について書き始めて3ヶ月あまりが過ぎ、 ふと気が付くと、
書くために考え、感じようとしている。
心が忙しくて、思ったことや感じたことが素直に出てこない。
そうかと思えば、私の思う事など誰も面白がったりしないのではないかと
不安になる。
ようやく書き上げても、読み返すと全く違うものになっていて、
がっかりしてしまうことばかりだ。
泡のように浮かんでくる思いを書き留めることは、なんと難しいのだろう。
私は、行き詰まってしまったのだ。
しばらくは、書くことを忘れていたい。
書くために考えたくないから、 今日は普通の "私の日常" を
話してみることにする。
今日は、教会のオルガン当番(本当は "奉仕" と言うべきらしい)の日。
腕も肩もこりこりになるが、練習って本当に楽しい。
これは難しい…、無理かも…と思われる曲も、2週間毎日練習すると
弾けてしまうからだ。
これには、単に音楽が好きだからというだけでない、私の不思議な妄想がある。
私の中にいる誰か… ひとりのシスター、 "修道女" が喜ぶのだ。
初めて教会のリードオルガン(足踏みオルガン)を弾いた時、 そう感じた。
彼女が弾きたがっているから私は練習し、 心臓の音が聞こえそうなほど
どきどきして逃げ出したくなっても、オルガンを弾いているのだと思っている。
なぜそうまでして弾くのかと聞かれたら、好きな事を自分の楽しみの
為だけでなく、人の役に立てたいからと答えるだろう。
「シスターが喜ぶから」 なんて、誰もわかってはくれないだろうから。
この "音" は大切にして、ここはレガートして、 こんな感じに弾いて…
などと練習中に判るのは、私ではなくそのシスターなのだと、
私は感じるのだから仕方がない。
むしろ、 そうでなければ、子供の頃2年ほどピアノを習っただけの素人に、
できるはずがないと思うのだ。
子供の頃、 私はピアノが欲しかった。
我が家はオルガンを買うのが精一杯だったのだが、もしかすると
それもシスターの差し金だったのかしら。
オルガンで練習して先生の所でピアノを弾くと、タッチが違って全然弾けず、
辞めてしまったけど、 その後も何故か "賛美歌" だけは弾いていたからだ。
もし心の声を聞けていたら、 彼女をもっと早く喜ばせることができたのに…
私の中には、ほかにもまだ誰かがいる。
それは、アンに似ているようでもあるし、「丘の家のジェーン」 の
ようでもある。
また 「ねじまきどりのクロニクル」 に登場する、妙な女の子達にも似ている。
"ランニングシャツ姿" の小さな男の子も見え隠れする。
見つけてあげたら、ひどく喜ぶだろう。
心を自由に、思いつくままにしていると、 声が聞こえ、姿が浮かんでくるのだ。
どう書いたら感心して貰えるかなどと考えているようじゃ、そりゃ疲れるなと
思う。
もっと想像力を使わなきゃ。
そうは思うけど…、なかなか出来る事じゃないとわかりました。
想像力の水脈は、 計算式では探り当てられない所にあるのだもの。
No.53 『第12章 空に雲』
人生とは何と退屈で、カビが生えたようにつまらないんだろう…。
今日一日、 たぶん昨日とほとんど変わらない日が始まろうとしている。
ここ何ヶ月かは、「赤毛のアン」 のことが頭を離れなくなってしまった。
次は何を書こうか…、 そればかり考えている。
「赤毛のアン」 について書き始める前は、 時間は全部、私のものだった。
朝は登ってくる真っ赤な太陽を横目に、 夕方は茜色の雲に向かって
車を走らせながら、下手な句など詠んでみたりしていたのに…
夕飯の 鍋の中身は あかね色
クリオネの月 微妙に温し 凍る朝
ぼんやり空を眺めては、 心に浮かぶことは皆、もう次の瞬間には
忘れてしまうけれど、 その景色が悲しい色に染まらない一日が大切だった。
せっかくの真新しい一日に、どうせロクなことはないと決めつけたら
失礼な気がする。
それでは、自分でカビを植え付けているようなものだ。
「赤毛のアン」 について書き始めて3ヶ月あまりが過ぎ、 ふと気が付くと、
書くために考え、感じようとしている。
心が忙しくて、思ったことや感じたことが素直に出てこない。
そうかと思えば、私の思う事など誰も面白がったりしないのではないかと
不安になる。
ようやく書き上げても、読み返すと全く違うものになっていて、
がっかりしてしまうことばかりだ。
泡のように浮かんでくる思いを書き留めることは、なんと難しいのだろう。
私は、行き詰まってしまったのだ。
しばらくは、書くことを忘れていたい。
書くために考えたくないから、 今日は普通の "私の日常" を
話してみることにする。
今日は、教会のオルガン当番(本当は "奉仕" と言うべきらしい)の日。
腕も肩もこりこりになるが、練習って本当に楽しい。
これは難しい…、無理かも…と思われる曲も、2週間毎日練習すると
弾けてしまうからだ。
これには、単に音楽が好きだからというだけでない、私の不思議な妄想がある。
私の中にいる誰か… ひとりのシスター、 "修道女" が喜ぶのだ。
初めて教会のリードオルガン(足踏みオルガン)を弾いた時、 そう感じた。
彼女が弾きたがっているから私は練習し、 心臓の音が聞こえそうなほど
どきどきして逃げ出したくなっても、オルガンを弾いているのだと思っている。
なぜそうまでして弾くのかと聞かれたら、好きな事を自分の楽しみの
為だけでなく、人の役に立てたいからと答えるだろう。
「シスターが喜ぶから」 なんて、誰もわかってはくれないだろうから。
この "音" は大切にして、ここはレガートして、 こんな感じに弾いて…
などと練習中に判るのは、私ではなくそのシスターなのだと、
私は感じるのだから仕方がない。
むしろ、 そうでなければ、子供の頃2年ほどピアノを習っただけの素人に、
できるはずがないと思うのだ。
子供の頃、 私はピアノが欲しかった。
我が家はオルガンを買うのが精一杯だったのだが、もしかすると
それもシスターの差し金だったのかしら。
オルガンで練習して先生の所でピアノを弾くと、タッチが違って全然弾けず、
辞めてしまったけど、 その後も何故か "賛美歌" だけは弾いていたからだ。
もし心の声を聞けていたら、 彼女をもっと早く喜ばせることができたのに…
私の中には、ほかにもまだ誰かがいる。
それは、アンに似ているようでもあるし、「丘の家のジェーン」 の
ようでもある。
また 「ねじまきどりのクロニクル」 に登場する、妙な女の子達にも似ている。
"ランニングシャツ姿" の小さな男の子も見え隠れする。
見つけてあげたら、ひどく喜ぶだろう。
心を自由に、思いつくままにしていると、 声が聞こえ、姿が浮かんでくるのだ。
どう書いたら感心して貰えるかなどと考えているようじゃ、そりゃ疲れるなと
思う。
もっと想像力を使わなきゃ。
そうは思うけど…、なかなか出来る事じゃないとわかりました。
想像力の水脈は、 計算式では探り当てられない所にあるのだもの。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
アンは学校で、 子供達に何でもいい、好きな事を手紙に書かせた。
日頃の苦労を忘れるほどの、 実に面白い内容の手紙が揃った。
私もアンに手紙を書いて、楽しませてあげようと思う。
子供に返ったつもりでね。
"赤毛のアン太郎" は、私のことを子供みたいだって言うけど、
それは私が子供っぽい行動を取るってことで、 私は子供の頭で
考えているわけではない。
子供に返って手紙を書くのは、 結構、難しい…
〜 シャーリー先生へ 〜
「私の秘密」
私の住んでいる所はとても暖かいけれど、 冬になると、たまに雪が降ります。
日曜日の夕方から、この冬初めての雪が降りました。
今日は火曜日だけど、まだドロベチャの黒い雪が残っていて、とても寒いです。
朝、郵便局へ歩いて行きました。 空気は冷たいにおいがします。
このにおいをかぐと、 昔、北海道へ行った時の事を思い出します。
こんな風に冷たかったからです。
北海道には、新婚旅行で行きました。
昔の話だけれど、 "赤毛のアン太郎" には内緒です。
前のだんなさんと行った旅行の話で、気を悪くさせたくないからです。
だからこれは、先生にだけの秘密の話です。
先生は、 好きな人の前で "おなら" をしたことがありますか?
私は女の子だから、 そんな恥ずかしいこと、絶対にしたらいけないと思います。
だけど "赤毛のアン太郎" は、 我慢するのは体に良くないから遠慮はいけない、
おならは出しなさい、 と私に言います。
ある時、 小さい音がちょっと、漏れたことがありました。
気が付かなければいいのになぁ…と、思っていたのに、
「おう! やったなぁ〜 それでエエんよ」
と、嬉しそうにしていました。
なんだか、いいことをしたような気もするけど、臭くなくてよかったです。
前のだんなさんといた時は、 おならはしたことがありません。
隠れてしていたんです。
でも、一度だけありました。 新婚旅行で北海道へ行った時のことでした。
私達は、 "ジャンプ台" で有名なスキー場でスキーをしました。
お昼ご飯を食べたロッジは、とっても素敵でした。
ガラス張りの大きな白い建物で、 ランチメニューもお洒落なのです。
外国みたいに、飲み物にワインが付いているの!
お食事が済んで外へ出ようとしたら、出入口は大混雑していて、
満員電車みたいになっていました。
私は外に出たらおならをしようと思って、我慢していました。
でも、なかなか外に出られなくて、とうとう我慢しきれなくなってしまいました。
大きな音は出なかったので安心したのだけど、その代わりに
ものすごく臭かったのです。 私も驚くぐらいに。
「うぇっ! やられたっ!」
だんなさんがつぶやきました。 私は恥ずかしくて黙っていました。
やっとのことで外に出られましたが…、
だんなさんは、どこのどいつかわからんヤツにカマされた、と
いつまでもわめくので、 私はとうとう言いそびれてしまいました。
本当の事を言わなかったのはズルかったかな、 と少し反省しています。
でも旅行に来てからというもの、だんなさんはずっと食べ物の好き嫌いで
文句ばかり言うので、 私はつくづく嫌になっていました。 いい気味です。
私の新婚旅行の思い出は、 "おなら" です。
もし、 シャーリー先生が結婚したらどうしますか?
先生に "おなら" は似合わない感じですね。
でも人間だから、生きているから、 当たり前のことだと思いませんか?
今はそんな、当たり前のことが自然にできるくらい、
私は人間らしくなったような気がします。
No.52 『第11章 お手紙』
アンは学校で、 子供達に何でもいい、好きな事を手紙に書かせた。
日頃の苦労を忘れるほどの、 実に面白い内容の手紙が揃った。
私もアンに手紙を書いて、楽しませてあげようと思う。
子供に返ったつもりでね。
"赤毛のアン太郎" は、私のことを子供みたいだって言うけど、
それは私が子供っぽい行動を取るってことで、 私は子供の頭で
考えているわけではない。
子供に返って手紙を書くのは、 結構、難しい…
〜 シャーリー先生へ 〜
「私の秘密」
私の住んでいる所はとても暖かいけれど、 冬になると、たまに雪が降ります。
日曜日の夕方から、この冬初めての雪が降りました。
今日は火曜日だけど、まだドロベチャの黒い雪が残っていて、とても寒いです。
朝、郵便局へ歩いて行きました。 空気は冷たいにおいがします。
このにおいをかぐと、 昔、北海道へ行った時の事を思い出します。
こんな風に冷たかったからです。
北海道には、新婚旅行で行きました。
昔の話だけれど、 "赤毛のアン太郎" には内緒です。
前のだんなさんと行った旅行の話で、気を悪くさせたくないからです。
だからこれは、先生にだけの秘密の話です。
先生は、 好きな人の前で "おなら" をしたことがありますか?
私は女の子だから、 そんな恥ずかしいこと、絶対にしたらいけないと思います。
だけど "赤毛のアン太郎" は、 我慢するのは体に良くないから遠慮はいけない、
おならは出しなさい、 と私に言います。
ある時、 小さい音がちょっと、漏れたことがありました。
気が付かなければいいのになぁ…と、思っていたのに、
「おう! やったなぁ〜 それでエエんよ」
と、嬉しそうにしていました。
なんだか、いいことをしたような気もするけど、臭くなくてよかったです。
前のだんなさんといた時は、 おならはしたことがありません。
隠れてしていたんです。
でも、一度だけありました。 新婚旅行で北海道へ行った時のことでした。
私達は、 "ジャンプ台" で有名なスキー場でスキーをしました。
お昼ご飯を食べたロッジは、とっても素敵でした。
ガラス張りの大きな白い建物で、 ランチメニューもお洒落なのです。
外国みたいに、飲み物にワインが付いているの!
お食事が済んで外へ出ようとしたら、出入口は大混雑していて、
満員電車みたいになっていました。
私は外に出たらおならをしようと思って、我慢していました。
でも、なかなか外に出られなくて、とうとう我慢しきれなくなってしまいました。
大きな音は出なかったので安心したのだけど、その代わりに
ものすごく臭かったのです。 私も驚くぐらいに。
「うぇっ! やられたっ!」
だんなさんがつぶやきました。 私は恥ずかしくて黙っていました。
やっとのことで外に出られましたが…、
だんなさんは、どこのどいつかわからんヤツにカマされた、と
いつまでもわめくので、 私はとうとう言いそびれてしまいました。
本当の事を言わなかったのはズルかったかな、 と少し反省しています。
でも旅行に来てからというもの、だんなさんはずっと食べ物の好き嫌いで
文句ばかり言うので、 私はつくづく嫌になっていました。 いい気味です。
私の新婚旅行の思い出は、 "おなら" です。
もし、 シャーリー先生が結婚したらどうしますか?
先生に "おなら" は似合わない感じですね。
でも人間だから、生きているから、 当たり前のことだと思いませんか?
今はそんな、当たり前のことが自然にできるくらい、
私は人間らしくなったような気がします。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
賑やかな鈴の音と共に、 彼女は到着する。
全ての鍵には鈴が付けられているからだ。
事務員さんは思う。
毎朝こんなに早くから出てくるなよ… 役員なんだから…
がさがさと荷物が音をたてる。
スーパーの "ちゃりちゃり袋" や、クリーニング屋の袋を自転車のカゴから
引っ張り出す音だ。
突然。 「おはよ〜! いってらっしゃ〜い!」
通学途中の、見ず知らずの小学生に元気一杯の声を掛ける。
ちゃりちゃり、ちりんちりん、 そしてバッタ〜ンとドアが開いて、
「家出おばさんのようじゃねぇ〜」
荷物が二つ以上ある時は決まってそう言うので、事務員さんは返事もしない。
「あ〜つめたい! ひとりでに走れるわ〜」
年柄年中 "小走り" だし、 外から帰ったらいつもはぁはぁ、
息が切れていることに自分で気付いてないのだろうか…
「コピーってほんとに便利」
帽子とコート姿のまま、朝一番のコピーを "やく" (コピーはとるのではなく、
やくのである) 後姿を横目でちらりと見た事務員さんは、憂鬱そうだった。
歳と共に痩せてガリガリになっていくにも関わらず、 しっかりした体つきだ。
いつも背筋をピンと伸ばし、両膝をきちんと閉じて座る後姿は、 言い出したら
他人の言うことを聞かない頑固さを物語っていた。
事情を知らぬ人がもし一緒に居たら、 なんと無愛想な事務員だろう…
皆そう思うことだろう。
心配無用だ。 これら、彼女の口から出る言葉は全て、 "独り言" なのだから。
「朝っぱらから何をやいているんだか。」
事務員さんは隙を見て彼女の机に近づき、机の上の書類からトランプを引く様に
一枚を選び出すと、 見もせず手早く折り畳んでポケットにねじ込んだ。
鼻唄が始まった。 それはいつも突然始まるのだ。
心の中で事務員さんは耳を塞ぐ。 やめてくれぇ…
隣室では、 彼女の息子である社長までもが口笛を吹き始めた。
二人にとっては、今日は実に楽しい土曜日らしい。
「それ… なんていう曲ですか?」
事務員さんと二人の眼が合った。
彼は来週に迫った、二つの入札の見積に忙しかった。
人任せにして失格になるのが嫌だった。
おまけに、積算ミスで赤字の仕事を落札するのも怖い。
人の責任を取るのも嫌だが、 自分だけ面倒な作業をしていることが、
とにかく腹立たしくてしようがないのだった。
しかし。 今回の積算には、ちょっと自信があった。
「これで落札できれば… って、ちょっと気分が良くなっていただけなのに、
事務員のヤツ、つまらん水を差しやがって…」
仕事があれば、こんな些細な事に苛々する事もないのに、 と事務員さんは思う。
さっき引き抜いた書類は焼却するとして…、
さて、 息子へのいたずらの仕込みは何にするか、だ。
社長室のドアに引っ掛けられたハンガーに、ふと眼が留まった。
部屋の外側に掛かったハンガーを、内側へかけ直しておく。
後は、彼が帰るのを待つだけだ。
バチッ! ハンガーがドアにぶつかって大きな音をたて、跳ね飛ぶ音がした。
面白いのはここからだ。
「ひぇ〜 なんでぇ〜 おっ ハンガーか… ひぇ〜 なんでかなぁ…
よいしょ よいしょ たいへんだ…」
予定通りすっごい独り言の連発に、事務員さんは新聞を読むフリをしながら
お腹の中では大爆笑。
「やったりましたでぇ」
隣ではもう一人、 がさがさと捜し物をする気配と共に、独り言が始まった。
「なくなっちゃった なくなっちゃった…」
元気に唄いながら、コピー機に向かう彼女。
やっぱり… "コピーのコピー" がやいてあったのだ。
「片づけたら何処に置いたか忘れるわぁ…」
ここぞとばかりに事務員さんが口を開いた。
「歳のせいですかね」
「仕事がないんです。 ここって、いつまで経っても
同じことの繰り返ししかないですから。」
もし、いたずらがバレたら、 テイビーのように言うしかない。
しかし、相手はアンではない。 人の話を聞かない専務と、人を信用しない社長。
事務員さんの本当の気持ちを聞く気なんて、あるわけがない。
事務員さんは、 もはや期待なんぞしていない。
自分の存在や感情を表現する、 これはもはや、単なるいたずらではない。
そうだ。 アートだ。
バクハツして何が悪い。
No.51 『第10章 事務員さんの本性 その2』
賑やかな鈴の音と共に、 彼女は到着する。
全ての鍵には鈴が付けられているからだ。
事務員さんは思う。
毎朝こんなに早くから出てくるなよ… 役員なんだから…
がさがさと荷物が音をたてる。
スーパーの "ちゃりちゃり袋" や、クリーニング屋の袋を自転車のカゴから
引っ張り出す音だ。
突然。 「おはよ〜! いってらっしゃ〜い!」
通学途中の、見ず知らずの小学生に元気一杯の声を掛ける。
ちゃりちゃり、ちりんちりん、 そしてバッタ〜ンとドアが開いて、
「家出おばさんのようじゃねぇ〜」
荷物が二つ以上ある時は決まってそう言うので、事務員さんは返事もしない。
「あ〜つめたい! ひとりでに走れるわ〜」
年柄年中 "小走り" だし、 外から帰ったらいつもはぁはぁ、
息が切れていることに自分で気付いてないのだろうか…
「コピーってほんとに便利」
帽子とコート姿のまま、朝一番のコピーを "やく" (コピーはとるのではなく、
やくのである) 後姿を横目でちらりと見た事務員さんは、憂鬱そうだった。
歳と共に痩せてガリガリになっていくにも関わらず、 しっかりした体つきだ。
いつも背筋をピンと伸ばし、両膝をきちんと閉じて座る後姿は、 言い出したら
他人の言うことを聞かない頑固さを物語っていた。
事情を知らぬ人がもし一緒に居たら、 なんと無愛想な事務員だろう…
皆そう思うことだろう。
心配無用だ。 これら、彼女の口から出る言葉は全て、 "独り言" なのだから。
「朝っぱらから何をやいているんだか。」
事務員さんは隙を見て彼女の机に近づき、机の上の書類からトランプを引く様に
一枚を選び出すと、 見もせず手早く折り畳んでポケットにねじ込んだ。
鼻唄が始まった。 それはいつも突然始まるのだ。
心の中で事務員さんは耳を塞ぐ。 やめてくれぇ…
隣室では、 彼女の息子である社長までもが口笛を吹き始めた。
二人にとっては、今日は実に楽しい土曜日らしい。
「それ… なんていう曲ですか?」
事務員さんと二人の眼が合った。
彼は来週に迫った、二つの入札の見積に忙しかった。
人任せにして失格になるのが嫌だった。
おまけに、積算ミスで赤字の仕事を落札するのも怖い。
人の責任を取るのも嫌だが、 自分だけ面倒な作業をしていることが、
とにかく腹立たしくてしようがないのだった。
しかし。 今回の積算には、ちょっと自信があった。
「これで落札できれば… って、ちょっと気分が良くなっていただけなのに、
事務員のヤツ、つまらん水を差しやがって…」
仕事があれば、こんな些細な事に苛々する事もないのに、 と事務員さんは思う。
さっき引き抜いた書類は焼却するとして…、
さて、 息子へのいたずらの仕込みは何にするか、だ。
社長室のドアに引っ掛けられたハンガーに、ふと眼が留まった。
部屋の外側に掛かったハンガーを、内側へかけ直しておく。
後は、彼が帰るのを待つだけだ。
バチッ! ハンガーがドアにぶつかって大きな音をたて、跳ね飛ぶ音がした。
面白いのはここからだ。
「ひぇ〜 なんでぇ〜 おっ ハンガーか… ひぇ〜 なんでかなぁ…
よいしょ よいしょ たいへんだ…」
予定通りすっごい独り言の連発に、事務員さんは新聞を読むフリをしながら
お腹の中では大爆笑。
「やったりましたでぇ」
隣ではもう一人、 がさがさと捜し物をする気配と共に、独り言が始まった。
「なくなっちゃった なくなっちゃった…」
元気に唄いながら、コピー機に向かう彼女。
やっぱり… "コピーのコピー" がやいてあったのだ。
「片づけたら何処に置いたか忘れるわぁ…」
ここぞとばかりに事務員さんが口を開いた。
「歳のせいですかね」
「仕事がないんです。 ここって、いつまで経っても
同じことの繰り返ししかないですから。」
もし、いたずらがバレたら、 テイビーのように言うしかない。
しかし、相手はアンではない。 人の話を聞かない専務と、人を信用しない社長。
事務員さんの本当の気持ちを聞く気なんて、あるわけがない。
事務員さんは、 もはや期待なんぞしていない。
自分の存在や感情を表現する、 これはもはや、単なるいたずらではない。
そうだ。 アートだ。
バクハツして何が悪い。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
まずはひとつ、ご報告しておこう。
我がグリーンゲーブルズマンションの監督者である "管理人さん" が、
今朝初めて、 私に笑顔で挨拶を返してくれた。
彼女の笑顔を見ることなど、皆無に等しい。
特に、 月に一度の "資源ゴミの日" は文字通りの修羅場だ。
当日の朝。 管理人は "資源分別の鬼" と化し、決して笑うことはないのだ。
まさに快挙である。
お正月の1月4日。
郵便を取りにロビーに降りると、管理人さんは早々と出勤していた。
ここは新年のご挨拶をと、管理人室に立ち寄ったのだ。
私に気付くと同時に、 彼女はしばし、固まっていた。
また苦情でも言いに来たか…、という顔付きだった。
実際、そういうヤツらが多いからなのだろうが。
「今年も宜しくお願い致します。」
あなたが居るから、グリーンゲーブルズマンションの秩序は
辛うじて守られているのだ。
それにしても、 なんでああも "警察口調" でカツカツ言うのだろうと思う。
目つきは鋭く、管理人室に座る姿はまるで刑務所の監守のようで、
とても好感など持てない。
先日、資源ゴミを出した帰り。 ふと見ると、またしても張り紙がしてあった。
「落書きはやめましょう。 カメラに写っていますよ。」
快適なマンションライフを目指す私にとって、この張り紙はあまりに事務的で、
愛想もクソもない。
行儀の悪い住人を管理するのは大変かもしれないが、私が親なら不愉快になる。
こっちだってその気になれば、 管理のやり方について管理会社に文句を
言ってやれる、って事を忘れてないか。
アヴォンリーの公会堂は、きれいな緑に塗るはずだった。
それが、パイ家の者に仕事を発注したばかりに "真っ青" になってしまった。
改善協会のメンバーも、公会堂の壁も文字通り、 "真っ青" になった訳だ。
今の日本で言うなら、 想像するにその "青" は、ゴミ収集車とかダンプカーに
良く使われている色で、家の壁などには絶対塗らない色なんだろうと思う。
(ちなみに、先日郊外をドライブしていると "その手" の青い壁の建物を
発見した。 かなり悪趣味。 写真を撮るべきだった…)
"注文通りに仕上がらなかった仕事" に代金を支払うなど、
泣き寝入りもいいところだ。
相手がパイ一族であろうが、 塗り直しさせるまで
ビタ一文払うことはないだろうに。
歯ぎしりしながらも、 どうして支払ってしまうのだろうか。
数年前の話。 友人の家に行くと、 日本間の座敷の隅にエアコンのパイプを
通す為の "穴" が開いている。
畳を刳り貫くなど、とうてい考えられない仕事だ。
普通は壁に穴を開けるものでは?と尋ねると、 新築して入居前に、
「とにかく急いで取り付けてくれ」 と業者に電話しておいたら、
こうなっていた、 と真顔で言うのだ。
「あんた、 新築の日本間に穴開けられて、黙ってお金払ったの?」
一応、業者に聞いてみたそうだ。 そしたら 「壁に穴が開いてなかったから」
と言われたらしい。
「それで引き下がったの?!」
開いた口が塞がらない。
畳に穴を開けるのはおかしい、と思わない業者もどうかしている。
「畳一枚弁償させて、やり直しさせなさいよ!」
弱気でどうする。 土木・建築業界にいる私が言うのだから、間違いない。
ゴネたら、大抵のことは何とかなる。
業者はそんな時のために契約書を取り交わし、保険にも入り、
更に弁護士の先生にも顧問料を支払っているのだから、
たとえ弁償することになっても、 大して困りはしない。
我が "○○組" では、 3年前に体育館の撤去をする折、全く関係のない
"サッカーゴール"を一緒にほうり捨ててしまった。
ヤッてしまった社員は 「ボロだったから、捨てるものと思った」 などと
言い訳をしていたが、 立ち会い確認をしなかった発注者にも非があった。
"創業40年の○○組" でも、そんなお粗末な仕事をすることがあるのだ。
で、 話し合いの末、 結局弁償することになってしまった。
当然ながら、我が社の粗利はサッカーゴールの中に消えた。
はっきりしているのは、 畳に穴を開けられた友人も改善協会も、
「甘く見られた」 ってことだ。
しかし。 ここでモンゴメリーが言いたいのは、
"偶然の間違いが良い結果をもたらした" ということなのだ。
「改善協会の若い人達がパイ一族のせいで酷い目に遭わされた」 と、
同情が集まったのだ。
今まで改善協会の活動に理解を示さなかった村人も、こぞって激励を始めたのだ。
これは… とんでもない綺麗ごとだ。 実際、とてもあり得ない。
"管理人さんを笑わせる" なんて事に、涙ぐましい努力をしているような
このグリーンゲーブルズマンションでは、 とても起こりえない話である。
誰にも迷惑かけまいと暮らしている私が、 一部のふとどきな住民のせいで
何でもかんでも "張り紙" で禁止、警告される不愉快な思いをしているのにだ。
だが私は、 管理人さんを "鬼" にしたのはマナーの悪い住民なのだから
仕方がない、とは思わない。
ましてや、 彼女を応援する気になど到底なれない。
むしろ。 我々がお金を払って管理させている "管理人ごとき" に、
なぜ監督されなければならないのか?
私は憤りを感じている。
ここは私のグリーンゲーブルズだ。
No.50 『第9章 理想のマンションライフ その3』
まずはひとつ、ご報告しておこう。
我がグリーンゲーブルズマンションの監督者である "管理人さん" が、
今朝初めて、 私に笑顔で挨拶を返してくれた。
彼女の笑顔を見ることなど、皆無に等しい。
特に、 月に一度の "資源ゴミの日" は文字通りの修羅場だ。
当日の朝。 管理人は "資源分別の鬼" と化し、決して笑うことはないのだ。
まさに快挙である。
お正月の1月4日。
郵便を取りにロビーに降りると、管理人さんは早々と出勤していた。
ここは新年のご挨拶をと、管理人室に立ち寄ったのだ。
私に気付くと同時に、 彼女はしばし、固まっていた。
また苦情でも言いに来たか…、という顔付きだった。
実際、そういうヤツらが多いからなのだろうが。
「今年も宜しくお願い致します。」
あなたが居るから、グリーンゲーブルズマンションの秩序は
辛うじて守られているのだ。
それにしても、 なんでああも "警察口調" でカツカツ言うのだろうと思う。
目つきは鋭く、管理人室に座る姿はまるで刑務所の監守のようで、
とても好感など持てない。
先日、資源ゴミを出した帰り。 ふと見ると、またしても張り紙がしてあった。
「落書きはやめましょう。 カメラに写っていますよ。」
快適なマンションライフを目指す私にとって、この張り紙はあまりに事務的で、
愛想もクソもない。
行儀の悪い住人を管理するのは大変かもしれないが、私が親なら不愉快になる。
こっちだってその気になれば、 管理のやり方について管理会社に文句を
言ってやれる、って事を忘れてないか。
アヴォンリーの公会堂は、きれいな緑に塗るはずだった。
それが、パイ家の者に仕事を発注したばかりに "真っ青" になってしまった。
改善協会のメンバーも、公会堂の壁も文字通り、 "真っ青" になった訳だ。
今の日本で言うなら、 想像するにその "青" は、ゴミ収集車とかダンプカーに
良く使われている色で、家の壁などには絶対塗らない色なんだろうと思う。
(ちなみに、先日郊外をドライブしていると "その手" の青い壁の建物を
発見した。 かなり悪趣味。 写真を撮るべきだった…)
"注文通りに仕上がらなかった仕事" に代金を支払うなど、
泣き寝入りもいいところだ。
相手がパイ一族であろうが、 塗り直しさせるまで
ビタ一文払うことはないだろうに。
歯ぎしりしながらも、 どうして支払ってしまうのだろうか。
数年前の話。 友人の家に行くと、 日本間の座敷の隅にエアコンのパイプを
通す為の "穴" が開いている。
畳を刳り貫くなど、とうてい考えられない仕事だ。
普通は壁に穴を開けるものでは?と尋ねると、 新築して入居前に、
「とにかく急いで取り付けてくれ」 と業者に電話しておいたら、
こうなっていた、 と真顔で言うのだ。
「あんた、 新築の日本間に穴開けられて、黙ってお金払ったの?」
一応、業者に聞いてみたそうだ。 そしたら 「壁に穴が開いてなかったから」
と言われたらしい。
「それで引き下がったの?!」
開いた口が塞がらない。
畳に穴を開けるのはおかしい、と思わない業者もどうかしている。
「畳一枚弁償させて、やり直しさせなさいよ!」
弱気でどうする。 土木・建築業界にいる私が言うのだから、間違いない。
ゴネたら、大抵のことは何とかなる。
業者はそんな時のために契約書を取り交わし、保険にも入り、
更に弁護士の先生にも顧問料を支払っているのだから、
たとえ弁償することになっても、 大して困りはしない。
我が "○○組" では、 3年前に体育館の撤去をする折、全く関係のない
"サッカーゴール"を一緒にほうり捨ててしまった。
ヤッてしまった社員は 「ボロだったから、捨てるものと思った」 などと
言い訳をしていたが、 立ち会い確認をしなかった発注者にも非があった。
"創業40年の○○組" でも、そんなお粗末な仕事をすることがあるのだ。
で、 話し合いの末、 結局弁償することになってしまった。
当然ながら、我が社の粗利はサッカーゴールの中に消えた。
はっきりしているのは、 畳に穴を開けられた友人も改善協会も、
「甘く見られた」 ってことだ。
しかし。 ここでモンゴメリーが言いたいのは、
"偶然の間違いが良い結果をもたらした" ということなのだ。
「改善協会の若い人達がパイ一族のせいで酷い目に遭わされた」 と、
同情が集まったのだ。
今まで改善協会の活動に理解を示さなかった村人も、こぞって激励を始めたのだ。
これは… とんでもない綺麗ごとだ。 実際、とてもあり得ない。
"管理人さんを笑わせる" なんて事に、涙ぐましい努力をしているような
このグリーンゲーブルズマンションでは、 とても起こりえない話である。
誰にも迷惑かけまいと暮らしている私が、 一部のふとどきな住民のせいで
何でもかんでも "張り紙" で禁止、警告される不愉快な思いをしているのにだ。
だが私は、 管理人さんを "鬼" にしたのはマナーの悪い住民なのだから
仕方がない、とは思わない。
ましてや、 彼女を応援する気になど到底なれない。
むしろ。 我々がお金を払って管理させている "管理人ごとき" に、
なぜ監督されなければならないのか?
私は憤りを感じている。
ここは私のグリーンゲーブルズだ。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
「脳内メーカー」 によれば、 私は "怠けたい" で出来ているらしい。
考えてみれば… 私は家事をする時、ストップウオッチを首から下げて時間を
計っているが、 それは無駄な作業を省いて時間を短縮するためで、
ひたすら怠けたい一心でやっているのだから、 まんざら外れてはいない。
ただの遊びとは言え、なにやら本性が垣間見られて面白い。
ついでに、何かと話題の尽きない会社の面々の "おミソ" も覗いてみた。
真面目に努力していれば報われると思っているらしい、 あの人。
脳内を覗くと、山盛りの "休みたい" の中心に、 "金" が…。 大笑いだった。
誠実そうなあの人は…? なんと脳内は、 "嘘" ばっかり。 やっぱり…
"儚げに細くてサラサラの髪" は、男心を虜にするらしいが、
そんな髪を持つ女の子の本性は、 大抵外見とはギャップがある。
そんな虫も殺さぬような女の子が、血眼になってゴキブリを追い回し、
スリッパで叩くところを見てみたいものだ。
憂鬱な気分も晴れて、さぞかし元気が出ることだろう。
いたずらの天才児、 デイビー・キースがカスバート家にやって来た。
とにかく、みんなをワーワー、キャーキャー言わせてくれる。
ターゲットは、 非の打ち所の無いお行儀のいい子、模範生、 きどった大人。
私もいたずらをやってみたかったものだ。 特に "ピンポンダッシュ" 。
やってみたくて "練習" までしてたのに、とうとう実行できずじまいで残念。
子供の頃から計画倒れの私だが、今度ばかりはヤル気だ。
いい人ぶった方々の本性を、是非見たいものだ。
会社の事務所には、そろそろ引退を考えた方が… という方がいる。
ご本人も、 社員への口出しは控えようと努力しているつもりらしいが、
全く効果が上がっていない。
なにかお手伝いさせて頂こう。
66歳の割にはしっかりしておられるが、 ここのところ特に、物忘れが
増えて来たのを心配しているようだ。
まずは、 彼女の机の上のファイルの順番を、時々 "シャッフル" しておく。
置いたはずの場所にないと、かなり動揺するはずだ。
ならば、自転車の鍵をあちこちに移動。 自分の行動が信じられなくなる。
飲まずに置いてあるお茶は、頃合いを見計らって処分する。
「あれ、飲んだ覚えがない… 飲んでる…」
そうなったらしめたモノ。
自分で自分が信用出来なくなるのを待つ、という作戦だ。
予測のつかない事故や病気を、やたら心配する人がいる。
その割には、行動力や決断力に欠け、 他人に対してはきわめて不誠実。
そんなヤツをびびらせるいたずら。
鉛筆の芯を折って、それを元のように軸に戻しておく。
書いたら、いきなり「ボキッ」 。 2本は仕込んで置きたい。
シャープペンの芯も5ミリ位にカットして入れておくと、何度ノックしても
折れるので神経に障る。
消しゴムは3Bの鉛筆で書いた跡を消しておけば、消せば消すほど
回りは黒くなる。 イライラする。
イスのネジを緩めるのも効果的だ。 なんかツイてない空気にまいるはずだ。
次に、ソックス。
一日のうちで作業服、普段着、背広と、 その都度着替える変な人。
ソックスがよく床に落ちている。 今度見つけたら隠してしまおう。
机の下の奥に突っ込んでしまえ。 もしくは、応接間ソファの間に突っ込もう。
お客様に気付かれたら、恥ずかしいぞ…
極めつけは、ズボンのファスナー。 軽くペンチでひねっておこう。
中途半端に "前" の締まりが悪いのは、も〜っと恥ずかしいぞ…。
想像しただけでゾクゾクッとするではないか。
さて、 このいたずらが良いことなのか、悪いことなのか。
なぜしてはいけないのか、 デイビーに言って聞かせたように…
アン、 私にも聞かせてよ。
「優秀な事務員さんは、そんな馬鹿なこと考える間に立派に仕事を
するものよ。」
来たな、アン。
「だったら、いい事務員さんにならなくてもいいわ。
いい事務員さんなんてつまらないだけだわ。」
私の本性は、 怠けながらもケチのつけられない仕事をして、過分な給料を
貰いたいと思っている、 とんでもない 「事務員さん」 なんだ。
雀の涙ほどの給料しか支払う用意のない会社など、 信用する訳ないでしょうが。
そんな会社の本性も、泣き所も一番良く知っているのが
実は、 「事務員さん」 なのだ。
アナタノ カイシャハ ダイジョウブ デスカ??
No.49 『第8章 事務員さんの本性』
「脳内メーカー」 によれば、 私は "怠けたい" で出来ているらしい。
考えてみれば… 私は家事をする時、ストップウオッチを首から下げて時間を
計っているが、 それは無駄な作業を省いて時間を短縮するためで、
ひたすら怠けたい一心でやっているのだから、 まんざら外れてはいない。
ただの遊びとは言え、なにやら本性が垣間見られて面白い。
ついでに、何かと話題の尽きない会社の面々の "おミソ" も覗いてみた。
真面目に努力していれば報われると思っているらしい、 あの人。
脳内を覗くと、山盛りの "休みたい" の中心に、 "金" が…。 大笑いだった。
誠実そうなあの人は…? なんと脳内は、 "嘘" ばっかり。 やっぱり…
"儚げに細くてサラサラの髪" は、男心を虜にするらしいが、
そんな髪を持つ女の子の本性は、 大抵外見とはギャップがある。
そんな虫も殺さぬような女の子が、血眼になってゴキブリを追い回し、
スリッパで叩くところを見てみたいものだ。
憂鬱な気分も晴れて、さぞかし元気が出ることだろう。
いたずらの天才児、 デイビー・キースがカスバート家にやって来た。
とにかく、みんなをワーワー、キャーキャー言わせてくれる。
ターゲットは、 非の打ち所の無いお行儀のいい子、模範生、 きどった大人。
私もいたずらをやってみたかったものだ。 特に "ピンポンダッシュ" 。
やってみたくて "練習" までしてたのに、とうとう実行できずじまいで残念。
子供の頃から計画倒れの私だが、今度ばかりはヤル気だ。
いい人ぶった方々の本性を、是非見たいものだ。
会社の事務所には、そろそろ引退を考えた方が… という方がいる。
ご本人も、 社員への口出しは控えようと努力しているつもりらしいが、
全く効果が上がっていない。
なにかお手伝いさせて頂こう。
66歳の割にはしっかりしておられるが、 ここのところ特に、物忘れが
増えて来たのを心配しているようだ。
まずは、 彼女の机の上のファイルの順番を、時々 "シャッフル" しておく。
置いたはずの場所にないと、かなり動揺するはずだ。
ならば、自転車の鍵をあちこちに移動。 自分の行動が信じられなくなる。
飲まずに置いてあるお茶は、頃合いを見計らって処分する。
「あれ、飲んだ覚えがない… 飲んでる…」
そうなったらしめたモノ。
自分で自分が信用出来なくなるのを待つ、という作戦だ。
予測のつかない事故や病気を、やたら心配する人がいる。
その割には、行動力や決断力に欠け、 他人に対してはきわめて不誠実。
そんなヤツをびびらせるいたずら。
鉛筆の芯を折って、それを元のように軸に戻しておく。
書いたら、いきなり「ボキッ」 。 2本は仕込んで置きたい。
シャープペンの芯も5ミリ位にカットして入れておくと、何度ノックしても
折れるので神経に障る。
消しゴムは3Bの鉛筆で書いた跡を消しておけば、消せば消すほど
回りは黒くなる。 イライラする。
イスのネジを緩めるのも効果的だ。 なんかツイてない空気にまいるはずだ。
次に、ソックス。
一日のうちで作業服、普段着、背広と、 その都度着替える変な人。
ソックスがよく床に落ちている。 今度見つけたら隠してしまおう。
机の下の奥に突っ込んでしまえ。 もしくは、応接間ソファの間に突っ込もう。
お客様に気付かれたら、恥ずかしいぞ…
極めつけは、ズボンのファスナー。 軽くペンチでひねっておこう。
中途半端に "前" の締まりが悪いのは、も〜っと恥ずかしいぞ…。
想像しただけでゾクゾクッとするではないか。
さて、 このいたずらが良いことなのか、悪いことなのか。
なぜしてはいけないのか、 デイビーに言って聞かせたように…
アン、 私にも聞かせてよ。
「優秀な事務員さんは、そんな馬鹿なこと考える間に立派に仕事を
するものよ。」
来たな、アン。
「だったら、いい事務員さんにならなくてもいいわ。
いい事務員さんなんてつまらないだけだわ。」
私の本性は、 怠けながらもケチのつけられない仕事をして、過分な給料を
貰いたいと思っている、 とんでもない 「事務員さん」 なんだ。
雀の涙ほどの給料しか支払う用意のない会社など、 信用する訳ないでしょうが。
そんな会社の本性も、泣き所も一番良く知っているのが
実は、 「事務員さん」 なのだ。
アナタノ カイシャハ ダイジョウブ デスカ??
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
どんな時に幸せを感じる?
良い事はあったのに、その時の幸せな気持ちを思い出すことが出来ない。
腹ぺこで、二人して鍋をつつく。
やけどしそうに熱い白菜を、フガフガいいながら食べる。
二人で、
「うまいなぁ」
「おいし〜っ」
そればかりを繰り返す時が幸せだ。 けれど、それは一瞬のこと。
明日のことも、今日あったことも、考えないでいられる時間はあまりにも短い。
何も考えないでいる、 その一瞬だけは幸せな時なのだ。
その一瞬がもう少し長持ちしてくれればいいのに。
何かに打ち込んで、沢山の不安や心配を忘れてしまいたい。
猛然と掃除をし、ピカピカの部屋にどっかり座って、
くだらないサスペンスドラマを見ながら、 居眠りする…
これが私のささやかな幸せだ。
憂鬱な気分になるのが、私は何より怖い。
憂鬱になると、 何もする気になれない。 決まって頭や首、肩が痛む。
何もしていないことの罪悪感で滅入っていく。
今日のような雨の休日は大嫌いだ。 なのに掃除をしなければいけない。
部屋は間違いなく薄汚れていき、唯一の私の資産は確実に価値を失ってゆくに
違いない。
正月以来、ヨガもしていない。 身体を動かし続けていなければいけない。
筋肉は緩み、筋は固まり、老後に最も大切な健康は維持されない。
何もしないで、放って置くとどうなるか。
必ず想像通り、 いや、それ以上に悪い結果になる。 悪い想像は本当になる。
私は、そんなマイナスの考え方を止めることが出来ない。
「アンが誰かの人生ににっこり微笑みかけると、その人生の持ち主は
太陽の光を浴びたように感じ、人生を希望に溢れ、楽しく素晴らしい事に
満ちたものだと、その一瞬だけでも感じるようになる…」
いいえ… 今日は駄目だ。 そんなんで、ごまかされたくない気分だ。
合い呼ぶ魂の人が側にいても、幸せを感じない日がある。
思い描いた幸せな生活は、ここにはまだないと思うと、 ドンと落ち込む。
"赤毛のアン太郎" は、 時々昼夜が逆転する。
私が起きているとき、 "赤毛のアン太郎" は寝ている。
私が眠くなる頃、 彼はようやく目覚める。
こんな日が続くと、私まで憂鬱になってしまう。
なんでこんな人を好きになってしまったのだろうかと、まるで私の冒した過ちの
責任を取っているような気になって、 ますます憂鬱から抜け出せなくなる。
誰か私に、明るい太陽の光を注いでくれない?
独りではとても、耐えてはいかれない。
でも私は、この事は誰にも言えない。
そんなんだったら別れてしまえばいい、と言われるのが怖いのだ。
どう答えて良いのか判らない。
だから独りで家に閉じこもり、誰とも話をせず、 この憂鬱が去って行くのを
待つしかない。
時が経てば、また彼の昼夜が元に戻り、 束の間の平和が訪れる、と
経験から知っているからだ。
これが最後になればいいと、何度祈ったかしれない。
でも、希望が持てた頃に、 必ずまたやって来るのだ。
それもまた、経験で知っている。
何か奇跡が起こらないものだろうか。
経験で推測する事を超えた、信じられないような出来事がないだろうか。
悪い想像ばかりが当たってしまうなんて、あんまりではないか。
時々やって来る憂鬱を吹き払って、 いつも幸せな気持ちでいたい。
アンは美しい自然や草花に眼を向けるよう、 私に促す。
だが、アンが眼を留めるものと、私が心を向けるものとは随分違う。
私は自然の中に置かれると、 取り残されたように淋しい。
花や木々は不平も不満も言わず、黙っているからよそよそしい。
むしろ、 雲ひとつ無い水色の空や、不毛の砂漠を、 私は美しいと感じる。
何もする気が起きなくても、別にいいじゃないか、 と許してくれるような
気がするのだ。
無機質なモノたちの声が聞こえる。
採石場の切り崩した山肌に、不格好に組み立てられた足場や、
赤茶けた機械に心惹かれる。
緑の広がる水田や野山より、 コンビナートの怪物に親しみを感じる。
大型クレーンは、太古に死に絶えた恐竜だ。
そんな世界で、 排気ガスを吸い、塵に汚れながら、 それでも街路樹は
優しい気持を失ってはいない。
喜びの白い道に咲く、香しいリンゴの花に、 少しも劣ってはいない。
こんなに憂鬱な時に、にっこり微笑みかけられたって腹が立つだけだ。
何もかもに腹が立つんだから。
「かくのごとき日に生きていられる幸せよ、
樅の枯れ葉の匂いを嗅ぐは 天国なり。」
なにが天国よ、エデンの国よ。
怒りをため込んで明日の事を思い煩う元気などない。
襖を隔てた隣の部屋から、 "赤毛のアン太郎" が何か言っている。
? …。 寝言か…。
こらぁ! そろそろ起きろ! バンドの練習の時間だぁ!
これで起きなかったら二度と起こしてやらん。
メンバーに愛想をつかされたって、アタシは知らんからな。
アタシは愛に飢えてるのでなければ、希望を失っているのでもない。
私は、怒っているんだ。
No.48 『第7章 怒り』
どんな時に幸せを感じる?
良い事はあったのに、その時の幸せな気持ちを思い出すことが出来ない。
腹ぺこで、二人して鍋をつつく。
やけどしそうに熱い白菜を、フガフガいいながら食べる。
二人で、
「うまいなぁ」
「おいし〜っ」
そればかりを繰り返す時が幸せだ。 けれど、それは一瞬のこと。
明日のことも、今日あったことも、考えないでいられる時間はあまりにも短い。
何も考えないでいる、 その一瞬だけは幸せな時なのだ。
その一瞬がもう少し長持ちしてくれればいいのに。
何かに打ち込んで、沢山の不安や心配を忘れてしまいたい。
猛然と掃除をし、ピカピカの部屋にどっかり座って、
くだらないサスペンスドラマを見ながら、 居眠りする…
これが私のささやかな幸せだ。
憂鬱な気分になるのが、私は何より怖い。
憂鬱になると、 何もする気になれない。 決まって頭や首、肩が痛む。
何もしていないことの罪悪感で滅入っていく。
今日のような雨の休日は大嫌いだ。 なのに掃除をしなければいけない。
部屋は間違いなく薄汚れていき、唯一の私の資産は確実に価値を失ってゆくに
違いない。
正月以来、ヨガもしていない。 身体を動かし続けていなければいけない。
筋肉は緩み、筋は固まり、老後に最も大切な健康は維持されない。
何もしないで、放って置くとどうなるか。
必ず想像通り、 いや、それ以上に悪い結果になる。 悪い想像は本当になる。
私は、そんなマイナスの考え方を止めることが出来ない。
「アンが誰かの人生ににっこり微笑みかけると、その人生の持ち主は
太陽の光を浴びたように感じ、人生を希望に溢れ、楽しく素晴らしい事に
満ちたものだと、その一瞬だけでも感じるようになる…」
いいえ… 今日は駄目だ。 そんなんで、ごまかされたくない気分だ。
合い呼ぶ魂の人が側にいても、幸せを感じない日がある。
思い描いた幸せな生活は、ここにはまだないと思うと、 ドンと落ち込む。
"赤毛のアン太郎" は、 時々昼夜が逆転する。
私が起きているとき、 "赤毛のアン太郎" は寝ている。
私が眠くなる頃、 彼はようやく目覚める。
こんな日が続くと、私まで憂鬱になってしまう。
なんでこんな人を好きになってしまったのだろうかと、まるで私の冒した過ちの
責任を取っているような気になって、 ますます憂鬱から抜け出せなくなる。
誰か私に、明るい太陽の光を注いでくれない?
独りではとても、耐えてはいかれない。
でも私は、この事は誰にも言えない。
そんなんだったら別れてしまえばいい、と言われるのが怖いのだ。
どう答えて良いのか判らない。
だから独りで家に閉じこもり、誰とも話をせず、 この憂鬱が去って行くのを
待つしかない。
時が経てば、また彼の昼夜が元に戻り、 束の間の平和が訪れる、と
経験から知っているからだ。
これが最後になればいいと、何度祈ったかしれない。
でも、希望が持てた頃に、 必ずまたやって来るのだ。
それもまた、経験で知っている。
何か奇跡が起こらないものだろうか。
経験で推測する事を超えた、信じられないような出来事がないだろうか。
悪い想像ばかりが当たってしまうなんて、あんまりではないか。
時々やって来る憂鬱を吹き払って、 いつも幸せな気持ちでいたい。
アンは美しい自然や草花に眼を向けるよう、 私に促す。
だが、アンが眼を留めるものと、私が心を向けるものとは随分違う。
私は自然の中に置かれると、 取り残されたように淋しい。
花や木々は不平も不満も言わず、黙っているからよそよそしい。
むしろ、 雲ひとつ無い水色の空や、不毛の砂漠を、 私は美しいと感じる。
何もする気が起きなくても、別にいいじゃないか、 と許してくれるような
気がするのだ。
無機質なモノたちの声が聞こえる。
採石場の切り崩した山肌に、不格好に組み立てられた足場や、
赤茶けた機械に心惹かれる。
緑の広がる水田や野山より、 コンビナートの怪物に親しみを感じる。
大型クレーンは、太古に死に絶えた恐竜だ。
そんな世界で、 排気ガスを吸い、塵に汚れながら、 それでも街路樹は
優しい気持を失ってはいない。
喜びの白い道に咲く、香しいリンゴの花に、 少しも劣ってはいない。
こんなに憂鬱な時に、にっこり微笑みかけられたって腹が立つだけだ。
何もかもに腹が立つんだから。
「かくのごとき日に生きていられる幸せよ、
樅の枯れ葉の匂いを嗅ぐは 天国なり。」
なにが天国よ、エデンの国よ。
怒りをため込んで明日の事を思い煩う元気などない。
襖を隔てた隣の部屋から、 "赤毛のアン太郎" が何か言っている。
? …。 寝言か…。
こらぁ! そろそろ起きろ! バンドの練習の時間だぁ!
これで起きなかったら二度と起こしてやらん。
メンバーに愛想をつかされたって、アタシは知らんからな。
アタシは愛に飢えてるのでなければ、希望を失っているのでもない。
私は、怒っているんだ。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
お正月休みは、あっという間に終わってしまった。
遅れている月締めの処理やら、源泉と住民税の資金繰りやらを済ませて、
昼休みに、散歩に出かけた。
会社の資金繰りに頭を使っても、悩む必要はない。 所詮、他人事だ。
もうじき来る、 我が家の固定資産税なら、話は別だが…。
勤めている会社は、私が小学校4年から10年の間、住んでいた町にある。
社長一族のお宅と私達家族が借りていた家とは、 目と鼻の先の、
同じ町内だったのだ。
この偶然の巡り合わせに、私は良い予感を感じた。
この町で再出発しようと、この会社への就職を決めた。
ところが…、 このところの不況で会社は潰れそうだし、お母さんみたいで
良いと思った奥さんは、お母さんよりうるさくて、どこが良い予感なんだと
自分に呆れている。
人を見る目のなさに、情けなくなる。
事実を良く見ていたら、 読めたはずなのに。
お金が絡むと本性が出る。 人の考え方が判る。
人にどれだけお金をかけているか、 それで会社が判るというものだ。
その辺の見極めが甘かった。
アン達のアヴォンリー村改善協会は、 公会堂の屋根を葺きなおして、
ペンキを塗り変えるための寄付集めを始めた。
寄付をする者しない者、 それぞれの考え方が伝わってくる。
アヴォンリーでは "ケチ" のレッテルを貼られたら、一生ついて回る。
気前が良いという事は、最高の褒め言葉なのだ。
やっぱり、お金が絡むと人が判るなと思う。
気前の良い人がいい。
入社当時の社長は、会社のお金については気前が良かった。
高卒の初任給程度で雇いたかった奥さんに対して、前職での所得を見た上で、
それでは安すぎると考えてくれたからだ。
ところがその社長、 自分の財布のお金には実にケチだった。
バレンタインの義理チョコのお返しは、クリームパン一個。
駐車場で私の車に接触しておいて、 大した事なくて良かったと、
何故かチクワをくれた。
(社長はその時、代車に乗っていたので、自分は痛くも痒くもなかったのだ)
会社費用の宴席は豪華にやるが、 昼ご飯はいつも、こそこそと
うどんを食べに行っていた。
その社長が翌年、 肺癌で亡くなった。
土建業と組(ウチの社名は土建屋らしく○○組なのだ)の衰退を見ずに
済んだだけ幸いだった、と言える。
自分の財布からお金を出すのは、死ぬより辛いだろう。
結果として、人の為になる、 そんなお金の使い方が賢いと思う。
経理担当の "奥さん" は会長夫人であり、 今の社長の母親である。
何よりも、会社の存続だけを第一に考える。
気前が良いはずだった彼女が、 景気が下向くに従い、次第に
貧乏臭く思えてきた。 いや、実際貧乏臭くなった。
まさに "貧すれば鈍する" の言葉通りである。
社員の残業手当をカットして、役員給与の削減を後回しにし、 反感を買った。
福利厚生費もケチった。 会社の為に節約して頑張っているのに、誰も彼女を
褒めたりしない。
的外れな経営努力に、社員は喜んでいないのだ。
事務所経費がこれ以上削減できないと知ると、 今度は自分の財布から
支払いを始めた。
もちろん、そんなことを社員が知るよしもなく、彼女の苦労は報われない。
自腹を切ってまで会社の為に尽くしているのに、感謝される事がない。
更に… 目的もなく、それでいて "ケチ" なのは最悪だ。
ケチること自体が目的だから、浮いたお金で何をするでもなく、ただ不毛な
ケチの世界にはまっていくのみだ。
それは、社員のためでも会社のためでもなく、強いて言うなら自己満足という
"自分のため" なのだから、信用などできようはずがない。
息子である社長に到っては、考え方もその都度、クルクル変わり
判断は首尾一貫しない。
自分の経費は自分で払っているから、社員に対して
「ボクだって、お金がないんですよ。」 などと平気で言う。
社員はその意味を理解できないから、ただ呆れるばかりだ。
親子揃って、 何のためにもなっていない。
私は、亡くなった社長には今も感謝している。
自分の財布はしっかり閉めるケチだったが、会社のお金をケチらなかったからだ。
経営手腕が特に優れていた訳でもない雇われ社長でも、 財産を残して、
家族にも感謝されたに違いない。
結局、 人のためにはなったのだ。
アンの寄付集めを見ていると、誰一人としてきちんと目的を理解しているのでは
なさそうだ。
早いところ追い返したくて、僅かな寄付をする者までいる。
かと思えば、目的に賛同するのと寄付をするのは別、という
ハリソンさんみたいなへそ曲がりもいる。
さすがのアンも、寄付集めの一日ですっかり疲れ果て、悲観的になって
しまったほどだ。
だが、 この私も相当にケチケチしている方だ。
もし、公民館の塗り替えの寄付金集めが来たら、それは役所に
出して貰えと言って、 追い返すだろう。
そして、 寄付したつもりになって、100円ばかりを貯金する。
以前はせいぜいそこまでだったのだが、 最近は目的を決めている。
家族と旅行に行く費用にしようと思っているのだ。
不毛なケチの世界にはまって、馬鹿にされたくない。
ケチでありながら、得をしたいのだ。
誰からも感謝されない人生なんてまっぴらだ。
感じの良い人、悪い人、直感で嗅ぎ分けて来た私だが、 近頃ではその直感も
怪しくなってきた。
良い人に違いない、 そうあって欲しい "思い" が勘を鈍らせる。
見た目では判らない人が増えてきたこの頃、 お金の使い方の的を
外さないかどうかが、 人を知るための知恵のひとつになっている。
人を知るという事は、その人の考え方を知ることであり、
お金の使い方がそれを理解する糸口になる。
私は、この人の考え方を理解しているだろうか…。
そんな私は、自分の考えを持っているだろうか…。
私は自分を見つめ、 戒めながら、 目の前にいる人の声を聞いている。
No.47 『第6章 ケチ』
お正月休みは、あっという間に終わってしまった。
遅れている月締めの処理やら、源泉と住民税の資金繰りやらを済ませて、
昼休みに、散歩に出かけた。
会社の資金繰りに頭を使っても、悩む必要はない。 所詮、他人事だ。
もうじき来る、 我が家の固定資産税なら、話は別だが…。
勤めている会社は、私が小学校4年から10年の間、住んでいた町にある。
社長一族のお宅と私達家族が借りていた家とは、 目と鼻の先の、
同じ町内だったのだ。
この偶然の巡り合わせに、私は良い予感を感じた。
この町で再出発しようと、この会社への就職を決めた。
ところが…、 このところの不況で会社は潰れそうだし、お母さんみたいで
良いと思った奥さんは、お母さんよりうるさくて、どこが良い予感なんだと
自分に呆れている。
人を見る目のなさに、情けなくなる。
事実を良く見ていたら、 読めたはずなのに。
お金が絡むと本性が出る。 人の考え方が判る。
人にどれだけお金をかけているか、 それで会社が判るというものだ。
その辺の見極めが甘かった。
アン達のアヴォンリー村改善協会は、 公会堂の屋根を葺きなおして、
ペンキを塗り変えるための寄付集めを始めた。
寄付をする者しない者、 それぞれの考え方が伝わってくる。
アヴォンリーでは "ケチ" のレッテルを貼られたら、一生ついて回る。
気前が良いという事は、最高の褒め言葉なのだ。
やっぱり、お金が絡むと人が判るなと思う。
気前の良い人がいい。
入社当時の社長は、会社のお金については気前が良かった。
高卒の初任給程度で雇いたかった奥さんに対して、前職での所得を見た上で、
それでは安すぎると考えてくれたからだ。
ところがその社長、 自分の財布のお金には実にケチだった。
バレンタインの義理チョコのお返しは、クリームパン一個。
駐車場で私の車に接触しておいて、 大した事なくて良かったと、
何故かチクワをくれた。
(社長はその時、代車に乗っていたので、自分は痛くも痒くもなかったのだ)
会社費用の宴席は豪華にやるが、 昼ご飯はいつも、こそこそと
うどんを食べに行っていた。
その社長が翌年、 肺癌で亡くなった。
土建業と組(ウチの社名は土建屋らしく○○組なのだ)の衰退を見ずに
済んだだけ幸いだった、と言える。
自分の財布からお金を出すのは、死ぬより辛いだろう。
結果として、人の為になる、 そんなお金の使い方が賢いと思う。
経理担当の "奥さん" は会長夫人であり、 今の社長の母親である。
何よりも、会社の存続だけを第一に考える。
気前が良いはずだった彼女が、 景気が下向くに従い、次第に
貧乏臭く思えてきた。 いや、実際貧乏臭くなった。
まさに "貧すれば鈍する" の言葉通りである。
社員の残業手当をカットして、役員給与の削減を後回しにし、 反感を買った。
福利厚生費もケチった。 会社の為に節約して頑張っているのに、誰も彼女を
褒めたりしない。
的外れな経営努力に、社員は喜んでいないのだ。
事務所経費がこれ以上削減できないと知ると、 今度は自分の財布から
支払いを始めた。
もちろん、そんなことを社員が知るよしもなく、彼女の苦労は報われない。
自腹を切ってまで会社の為に尽くしているのに、感謝される事がない。
更に… 目的もなく、それでいて "ケチ" なのは最悪だ。
ケチること自体が目的だから、浮いたお金で何をするでもなく、ただ不毛な
ケチの世界にはまっていくのみだ。
それは、社員のためでも会社のためでもなく、強いて言うなら自己満足という
"自分のため" なのだから、信用などできようはずがない。
息子である社長に到っては、考え方もその都度、クルクル変わり
判断は首尾一貫しない。
自分の経費は自分で払っているから、社員に対して
「ボクだって、お金がないんですよ。」 などと平気で言う。
社員はその意味を理解できないから、ただ呆れるばかりだ。
親子揃って、 何のためにもなっていない。
私は、亡くなった社長には今も感謝している。
自分の財布はしっかり閉めるケチだったが、会社のお金をケチらなかったからだ。
経営手腕が特に優れていた訳でもない雇われ社長でも、 財産を残して、
家族にも感謝されたに違いない。
結局、 人のためにはなったのだ。
アンの寄付集めを見ていると、誰一人としてきちんと目的を理解しているのでは
なさそうだ。
早いところ追い返したくて、僅かな寄付をする者までいる。
かと思えば、目的に賛同するのと寄付をするのは別、という
ハリソンさんみたいなへそ曲がりもいる。
さすがのアンも、寄付集めの一日ですっかり疲れ果て、悲観的になって
しまったほどだ。
だが、 この私も相当にケチケチしている方だ。
もし、公民館の塗り替えの寄付金集めが来たら、それは役所に
出して貰えと言って、 追い返すだろう。
そして、 寄付したつもりになって、100円ばかりを貯金する。
以前はせいぜいそこまでだったのだが、 最近は目的を決めている。
家族と旅行に行く費用にしようと思っているのだ。
不毛なケチの世界にはまって、馬鹿にされたくない。
ケチでありながら、得をしたいのだ。
誰からも感謝されない人生なんてまっぴらだ。
感じの良い人、悪い人、直感で嗅ぎ分けて来た私だが、 近頃ではその直感も
怪しくなってきた。
良い人に違いない、 そうあって欲しい "思い" が勘を鈍らせる。
見た目では判らない人が増えてきたこの頃、 お金の使い方の的を
外さないかどうかが、 人を知るための知恵のひとつになっている。
人を知るという事は、その人の考え方を知ることであり、
お金の使い方がそれを理解する糸口になる。
私は、この人の考え方を理解しているだろうか…。
そんな私は、自分の考えを持っているだろうか…。
私は自分を見つめ、 戒めながら、 目の前にいる人の声を聞いている。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
"ソウルメイトがいる" という事を知ったのは、20年くらい前のことだ。
きっかけは、当時勤めていた会社の社長に勧められて読んだ本だった。
確か、 「前世治療法」 … とかいう、タイトルだったと思う。
前世を思い出すことで、心の問題を解き明かしていく、 という内容に
とても驚き、興味を持った。
今、 "スピリチュアル" と呼ばれているその世界は、 当時は "ニューエイジ" と
言われていて、 書店にもコーナーが置かれ始めていた。
何冊か読んだ中でも、シャーリー・マクレーンの "アウト・オン・ア・リム" は
私のお気に入りで、 「ソウルメイト」 という言葉を初めて知った本だ。
「ソウルメイト」 。 それは、前世でも深い関わりがあった者の魂のことだ。
多くの場合、 夫婦や恋人同士だったらしい。
でも、ソウルメイトは誰にでもいる訳ではない。
前世で一度も愛し合ったことのない人が、この世でその魂に会えるはずがない。
ちなみに、ソウルメイトほど深い関わりではないが、 前世で友人だったり、
仲間だったりしたことがある魂には、出会うことができるそうだ。
そうすると…、 私が出会う人は、 かつてはよく知っていた人なのだ。
初めて会ったのに、以前から知っているような気がする、 という事の
説明がつく。
あれ… これって、 アンの言う "合い呼ぶ魂" のことだ、 そう思った。
私にとっては 「同類」 と呼べる人のことだ。
変わり者で仲間作りが苦手な私にも、 それぞれの時期にふさわしい親友がいた。
そういう友達を持つと、 物の見方が変わる。
新しい事に興味を持って、冒険してみたくなるのだ。
何時間でも話していられるし、 黙っていても落ち着いていられる。
ただ、そんな出会いがどこにでも転がっている訳はないが…。
しかし、入ってくる情報の中から、 私は無意識に同類をかぎ分けていたようだ。
話をしながら、この人と前世でどんな関わりがあったのだろう、と考えている。
誤解しないで欲しいのだが、 私は自分の前世も、他人の前世もわからない。
だから "話をするしかない" のだが、 私にとって 「同類」 と感じる人は、
脳みその奥の方から微かな信号が届くみたいな、 そんな感じのする人だ。
些細な偶然の一致が、脳みそを刺激する事がある。
アヴォンリーの学校に赴任した、 登校初日。
アンはポール・アービングと眼が合った瞬間、 ゾクゾクッと震えが走った。
まるで捜していた天才を、ついに見つけたような気分だった。
二人は眼が合っただけで、友情でしっかり結ばれる。
ポール・アービングの話は、リンド夫人から既に聞いていた。
母親を亡くし、父方の祖母の家に預けられた、10才の男の子だった。
そう… アンに似た身の上だったのだ。
そんな、偶然の一致に脳みそを刺激されたアンは、 ポールに出会う前から
彼の寂しさに共感していたに違いない。
この出会いから、 アンとポールは、年齢を超えた友情で結ばれるようになる。
実に、ロマンチックな巡り合わせである。
牧師の妻であるモンゴメリーが、 前世を信じていたとは思えない。
たとえそう信じていたとしても、口に出してはいけない事だ。
クリスチャンは死んだら天国へ行くのだから。 生まれ変わることはない。
だが、アンを取り巻く人々の物語には、 あまりに多くの偶然の力が働いていて、
私には、モンゴメリーがスピリチュアルな何かを信じていた、 としか
思えない時がある。
私は、 魂は生まれ変わると思っている。
前世でやり残した事や、うまくいかなかった事をやり遂げるために、
みずから時を選んで生まれ変わって来るのは、 ごく自然なことだと思っている。
ただ、残念なことにその記憶は、 産まれてきた瞬間からどんどん忘れて
しまうのだそうだ。
小さい子供は産まれる前のことを覚えているから、聞いてみるといいらしい。
もしこの話を昔から知っていたら、私の二人の子供にも聞いてみただろう。
ちいさなこどもに出会った時、 いつも思う事がある。
こども達の瞳には、 産まれた時に持って来た、新しい魂の光が、
ちゃんと輝いている。
見つめると、見つめ返してくるその輝きは、
「ボク、 知ってるよ。」
そう訴えかけているように思えるのだ。
私にとって、 "赤毛のアン太郎" は、合い呼ぶ魂の友だ。
彼が、前世で約束を交わしたソウルメイトなのかはわからない。
私が前世で愛した人が居たのかどうか、 疑問だからだ。
だからこそ、今世では魂の友として、生まれ変わってまた出会う約束を交わす。
私達は、 今を、ソウルメイトとして生きている。
No.46 『第5章 ソウルメイト』
"ソウルメイトがいる" という事を知ったのは、20年くらい前のことだ。
きっかけは、当時勤めていた会社の社長に勧められて読んだ本だった。
確か、 「前世治療法」 … とかいう、タイトルだったと思う。
前世を思い出すことで、心の問題を解き明かしていく、 という内容に
とても驚き、興味を持った。
今、 "スピリチュアル" と呼ばれているその世界は、 当時は "ニューエイジ" と
言われていて、 書店にもコーナーが置かれ始めていた。
何冊か読んだ中でも、シャーリー・マクレーンの "アウト・オン・ア・リム" は
私のお気に入りで、 「ソウルメイト」 という言葉を初めて知った本だ。
「ソウルメイト」 。 それは、前世でも深い関わりがあった者の魂のことだ。
多くの場合、 夫婦や恋人同士だったらしい。
でも、ソウルメイトは誰にでもいる訳ではない。
前世で一度も愛し合ったことのない人が、この世でその魂に会えるはずがない。
ちなみに、ソウルメイトほど深い関わりではないが、 前世で友人だったり、
仲間だったりしたことがある魂には、出会うことができるそうだ。
そうすると…、 私が出会う人は、 かつてはよく知っていた人なのだ。
初めて会ったのに、以前から知っているような気がする、 という事の
説明がつく。
あれ… これって、 アンの言う "合い呼ぶ魂" のことだ、 そう思った。
私にとっては 「同類」 と呼べる人のことだ。
変わり者で仲間作りが苦手な私にも、 それぞれの時期にふさわしい親友がいた。
そういう友達を持つと、 物の見方が変わる。
新しい事に興味を持って、冒険してみたくなるのだ。
何時間でも話していられるし、 黙っていても落ち着いていられる。
ただ、そんな出会いがどこにでも転がっている訳はないが…。
しかし、入ってくる情報の中から、 私は無意識に同類をかぎ分けていたようだ。
話をしながら、この人と前世でどんな関わりがあったのだろう、と考えている。
誤解しないで欲しいのだが、 私は自分の前世も、他人の前世もわからない。
だから "話をするしかない" のだが、 私にとって 「同類」 と感じる人は、
脳みその奥の方から微かな信号が届くみたいな、 そんな感じのする人だ。
些細な偶然の一致が、脳みそを刺激する事がある。
アヴォンリーの学校に赴任した、 登校初日。
アンはポール・アービングと眼が合った瞬間、 ゾクゾクッと震えが走った。
まるで捜していた天才を、ついに見つけたような気分だった。
二人は眼が合っただけで、友情でしっかり結ばれる。
ポール・アービングの話は、リンド夫人から既に聞いていた。
母親を亡くし、父方の祖母の家に預けられた、10才の男の子だった。
そう… アンに似た身の上だったのだ。
そんな、偶然の一致に脳みそを刺激されたアンは、 ポールに出会う前から
彼の寂しさに共感していたに違いない。
この出会いから、 アンとポールは、年齢を超えた友情で結ばれるようになる。
実に、ロマンチックな巡り合わせである。
牧師の妻であるモンゴメリーが、 前世を信じていたとは思えない。
たとえそう信じていたとしても、口に出してはいけない事だ。
クリスチャンは死んだら天国へ行くのだから。 生まれ変わることはない。
だが、アンを取り巻く人々の物語には、 あまりに多くの偶然の力が働いていて、
私には、モンゴメリーがスピリチュアルな何かを信じていた、 としか
思えない時がある。
私は、 魂は生まれ変わると思っている。
前世でやり残した事や、うまくいかなかった事をやり遂げるために、
みずから時を選んで生まれ変わって来るのは、 ごく自然なことだと思っている。
ただ、残念なことにその記憶は、 産まれてきた瞬間からどんどん忘れて
しまうのだそうだ。
小さい子供は産まれる前のことを覚えているから、聞いてみるといいらしい。
もしこの話を昔から知っていたら、私の二人の子供にも聞いてみただろう。
ちいさなこどもに出会った時、 いつも思う事がある。
こども達の瞳には、 産まれた時に持って来た、新しい魂の光が、
ちゃんと輝いている。
見つめると、見つめ返してくるその輝きは、
「ボク、 知ってるよ。」
そう訴えかけているように思えるのだ。
私にとって、 "赤毛のアン太郎" は、合い呼ぶ魂の友だ。
彼が、前世で約束を交わしたソウルメイトなのかはわからない。
私が前世で愛した人が居たのかどうか、 疑問だからだ。
だからこそ、今世では魂の友として、生まれ変わってまた出会う約束を交わす。
私達は、 今を、ソウルメイトとして生きている。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
私は、 「愛情溢れる母親になる」 と思っていたのに…
長女が3才の時、
いらいらして つい持っていた丸いお盆を、床に投げつけた
お盆はころころと転がって、長女の額を直撃
大泣きする声に、我に帰って、 こどもを抱き上げて
ごめんね、 ごめんね…
私も悲しくなった
彼女の額には 小さな赤いタンコブができていた
長男が5才の時、
いらいらして つい持っていたテレビのリモコンで、長男の頭をたたいた
大泣きする声に、我に帰って、 こどもを抱き上げて
ごめんね、 ごめんね…
私も悲しくなった
彼の頭にタンコブはできなかったが リモコンが壊れた
長男が あんまりだだをこねるので
今度は堂々とゲンコツで頭をたたいたら 私の人差し指にヒビが入った
長男はそれ以後 石頭を唯一の自慢にしている
おてんば娘の長女は 近所のこどもとやりあうと すぐに手が出た
私のせいかと 悩んだ
よその子を叩いてはいけない と諭したら、 弟の頭ばかりをたたいた
石頭の彼は 平気な顔をしていたが
やっぱり 私は悩んだ
長男が幼稚園の時、
近所の薬屋さんの店先から ガムを万引きした
友達と二人で…
私は二人を店に連れて行き 謝った
そして帰り道 思い切りブチ殴った
二度としないように
長男が12才の時、
街の大きな本屋から 電話があった
「お宅の息子さんが万引きをされたので 迎えに来て下さい」
自転車を飛ばして 迎えに行った
警備員の部屋で、息子はしょげかえって 座っていた
「お母さん… 怒らないでやって下さい。
お子さんは反省しているし、もともと良い子ですよ。
初犯だし、 学校へは通報しませんから」
幼稚園の時、 ガムを万引きしている。 初犯ではない…
自転車の荷台に 息子を乗せて、 私は無言で ペダルをこぎ続けた
謹慎処分を免れたことが 嬉しかった
やさしい母への歩みは
こけたり こかされたりの連続で
理想なんて あったもんじゃない
日々 悩むことばかり
"鞭を惜しむとこどもは駄目になる" と ハリソンさんはいうけれど
ジンジャーの悪態を やめさせられもしない
"こどもは愛情で導く" と アンは火になっていうけれど
アンソニー・パイを 鞭で打つ
大声で こどもを叱るお母さんをみた
言うこと聞かない 二人の兄弟
お兄ちゃんが弟に言った
「ママは優しいから きっと いいって いってくれるよ」
ママは思わず 苦笑い
今回は 情に流された 鬼ママの負け
勝ち負けじゃない なんて誰が言った
自分のこどもを育ててみないと わかりゃあせん
No.45 『第4章 理想の…』
私は、 「愛情溢れる母親になる」 と思っていたのに…
長女が3才の時、
いらいらして つい持っていた丸いお盆を、床に投げつけた
お盆はころころと転がって、長女の額を直撃
大泣きする声に、我に帰って、 こどもを抱き上げて
ごめんね、 ごめんね…
私も悲しくなった
彼女の額には 小さな赤いタンコブができていた
長男が5才の時、
いらいらして つい持っていたテレビのリモコンで、長男の頭をたたいた
大泣きする声に、我に帰って、 こどもを抱き上げて
ごめんね、 ごめんね…
私も悲しくなった
彼の頭にタンコブはできなかったが リモコンが壊れた
長男が あんまりだだをこねるので
今度は堂々とゲンコツで頭をたたいたら 私の人差し指にヒビが入った
長男はそれ以後 石頭を唯一の自慢にしている
おてんば娘の長女は 近所のこどもとやりあうと すぐに手が出た
私のせいかと 悩んだ
よその子を叩いてはいけない と諭したら、 弟の頭ばかりをたたいた
石頭の彼は 平気な顔をしていたが
やっぱり 私は悩んだ
長男が幼稚園の時、
近所の薬屋さんの店先から ガムを万引きした
友達と二人で…
私は二人を店に連れて行き 謝った
そして帰り道 思い切りブチ殴った
二度としないように
長男が12才の時、
街の大きな本屋から 電話があった
「お宅の息子さんが万引きをされたので 迎えに来て下さい」
自転車を飛ばして 迎えに行った
警備員の部屋で、息子はしょげかえって 座っていた
「お母さん… 怒らないでやって下さい。
お子さんは反省しているし、もともと良い子ですよ。
初犯だし、 学校へは通報しませんから」
幼稚園の時、 ガムを万引きしている。 初犯ではない…
自転車の荷台に 息子を乗せて、 私は無言で ペダルをこぎ続けた
謹慎処分を免れたことが 嬉しかった
やさしい母への歩みは
こけたり こかされたりの連続で
理想なんて あったもんじゃない
日々 悩むことばかり
"鞭を惜しむとこどもは駄目になる" と ハリソンさんはいうけれど
ジンジャーの悪態を やめさせられもしない
"こどもは愛情で導く" と アンは火になっていうけれど
アンソニー・パイを 鞭で打つ
大声で こどもを叱るお母さんをみた
言うこと聞かない 二人の兄弟
お兄ちゃんが弟に言った
「ママは優しいから きっと いいって いってくれるよ」
ママは思わず 苦笑い
今回は 情に流された 鬼ママの負け
勝ち負けじゃない なんて誰が言った
自分のこどもを育ててみないと わかりゃあせん
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
NHKの「ようこそ! "赤毛のアン" の世界へ」、 ご覧になりましたか?
私の感想は、 予想以上の落胆。
一言で言えば "番宣" 、 4月から放映される新番組の
"前宣伝" でしかありませんでした。
山瀬まみの座り位置で、 "ためしてガッテン" か?、 と思いましたが、
観終わっても全くガッテンできず、 苛立たしさだけが残りました。
私は、 「赤毛のアン」 が好きだということを、長年苦労し、
慎重に、 隠し続けて来ました。
せっかくカミングアウトしたのに、隠しておけば良かった、 と思いました。
なぜだと思います?
「赤毛のアンの世界」 にどっぷり浸かった、 "夢見る夢子" ちゃんだと、
誤解されたくないからなのです。
知り合いのご婦人宅に、お邪魔した時の事。
大変な読書家らしく、 本棚には東西の名作が並んでいました。
その中で、 なぜか数冊の本にだけ、カバーがかけられ、
タイトルが隠されているのを、 私は見逃しませんでした。
「これは… アンに違いない…」
やっぱり、 「赤毛のアン」 でした。
世間の 「赤毛のアン」 に対するイメージが、 あまりに幼過ぎるのです。
事前のアンケート調査に基づいて、制作したようですから、
これが世間一般の、 「赤毛のアン」 ファンの実像なのでしょうが…
正直、 げんなりしました。
そうしてみれば、 ふてくされたような山瀬まみの表情が、
一番正味の反応だった、 と思えます。
もし、 "この番組が良かった" と言う人が90%以上いても、
面白くないと思った少数の 「赤毛のアン」 好きがいる、
という事を、世間に知らしめたい、 と私は思ったのです。
「赤毛のアンの何に一番魅力を感じるか」 という問いに対し、
堂々の第1位は… 驚いた事に、 "プリンスエドワード島" 。
さすがに、 脳科学者は、言う事が違います。
「名作の舞台には、その作品の風が吹いている」 と…。
しかし、 普通のアンフリークが、そこまで会得して帰国できるかどうかは、
疑問です。
アヴォンリーは、 当初の予想通り、 "テーマパーク化" されているようで、
そんな中ではしゃぐ "松坂慶子" の姿を見て、何となく恥ずかしくなったのは、
私がひねくれているからなのでしょうか…。
そして、 大ヒット作品の宿命…。
「赤毛のアン」 の中で書かれた内容とは別に、
やはり、 ファンのイメージが一人歩きしている様です。
昭和27年に、日本で出版された時は、 終戦から13年が経ち、
世の中は落ち着きを取り戻しつつありましたが、まだ文化的な貧富の差は大きく、
当時、これを読まれた方は、 少なくとも 「中流階級以上」 だったのでは、
と想像しています。
確かに 「赤毛のアン」 には、 ちょっとセレブな、文学少女のイメージが
感じられます。
文学少女なら、 必ず読んだ本だったのでしょう。
その後、 「こども向き」 に訳された本が、どこの学校の図書館にも並び、
私も夢中で読みました。
モンゴメリーの、アン以外の作品も、 ほとんど読破したものです。
それまでは、 父の本棚にある松本清張、 司馬遼太郎、 山本周五郎などの
歴史モノを主に読んでいたのですから、まさに "カルチャーショック" でした。
見た事も触れた事もない、外国の生活様式への憧れ、 自然への憧れが、
キラキラと目の前に拡がっていきました。
夢見る "ちびまる子" ちゃんの画をご想像戴ければ、 ズバリそのままでしょう。
アニメ化されてからは、 「赤毛のアン」 は、
文字通り、 "童話" になってしまいました。
私は、 "自分の中のアン" を壊されそうで、 アニメは観ませんでした。
「赤毛のアン」 の世界には、 引き込まれたら戻れないくらい、
強烈な "エネルギー" があります。
それは、まるで "ぬるま湯" のように、 どっぷり浸かっていたくなるのです。
良い本には、 総じて、そんな力があります。
そこから抜け出して眼を覚ますのが、 一番大変で、最も重要なことなのです。
NHKのスタジオで、 笑みを浮かべて、大まじめに拍手していた方々の多くは、
まだ夢の中におられるのではないか…、 そんな気がします。
本を読んだら、 そこから得たものを現実に持ち帰り、
自分の、 生きる知恵とエネルギーに換えなければならない、
私は、そう考えています。
私は、 どうして目が覚めたのか…。
社会の荒波や人間関係の大波にさらわれ、 揉みくちゃにされ、
めためたになったからです。
元々の自分がなくなるくらいになって…、 ふと我に帰ったら、
何にも感じなくなっていたのです。
つまり、 「アンの魔法」 は、 何の役にも立たなかったのです。
ましてや、アンの事を思い出した事などなく、 むしろ、アンなら
"絶対にしない事" をして、 生き抜いてきたのです。
ある日、 引っ越しの荷物整理をしていると、
黄色く変色した単行本に、 眼が留まりました。
それは、「赤毛のアン」 ではなく、 モンゴメリーの作品のひとつ、
「丘の家のジェーン」 でした。
高校時代、 私は、 アンよりジェーンを身近に感じていて、
何度も読み返していました。
それがなぜなのか…、 自分でも判らないのですが、この事はこのままそっと、
謎のままにしておきたいほど、 大切にしていたいのです。
何も感じなくなった心が、 フッと息をついたのを感じました。
昔の自分を思い出す、 きっかけになったのです。
私は、はっきり意見を言えない臆病者で、 大きな声の人に意見を合わせて
生きてきました。
素直に、静かに、明るくしていれば、 嫌われる事も少ないからです。
意見があっても言わないようにしていました。
人は、 意見を言わない、そんな私を軽く見て、 勝手に決めるようになりました。
私は、 次第に 「自分には内容がない」、 と思うようになっていきました。
内容がないのに、 ロマンチックなアンの、物の見方だけを
学んでしまったようです。
まさに、 ミーハーな、 「赤毛のアン」 フリークでした。
赤毛のアンの、 "かけら" だけが残ってしまったのです。
そして、年月を経て、 こうして "書く" ことにより、気が付きました。
それも、 昨夜のことなのだけれど。
私は、 「言わなかったから」 。
あまりに長い間、習慣的に黙っていたために、 言い方がわからないのだ、
と思ったのです。
嬉しくもあり、 厳しくもある、 発見でした。
NHKの番組は、 "茶番" だったけれど、
ひとつだけ、 私が "ガッテンボタン" を連打した映像がありました。
モンゴメリーが縫った、 パッチワークのベットカバー。
それは、 恐ろしい程の 「迫力」 がありました。
同じ大きさと形にカットされた、普通のパッチワークではなく、
上に重ねて端切れを当て、 さらにまた気に入った布をはぎ合わせ、
その上から刺繍をし…、
まるで、 熱中する事で何かを忘れようとするような、
情熱の捌け口のような作品でした。
そして…、
僅かに空いた、白いスペースに、 小さく刺繍された "Lucy" という文字。
生身のモンゴメリーが、 そこにいました。
私は、 「赤毛のアンの本性を見つける」 と公言して以来、
ずっと考え続けていました。
そんな中、ポンと浮かんだのは、 アンは "つぎはぎだらけ" という事でした。
膨大な読書による、 名作・古典・聖書・詩の知識を引用し、
イメージを膨らませ、 ちりばめて創られた、 パッチワークの 「アン」 。
モンゴメリー自身の声で語り出された言葉は、
その中の、どこに隠されているのでしょうか。
ピカソや岡本太郎、といった芸術家達のように、
「これがオレだ! どうだ〜!」
とばかりに、 自分を表現しないモンゴメリー …
はっきり言っているようで、 判りにくい表現方法。
そのどこかに、 彼女は隠れているように感じるのです。
あのパッチワークを見た時。
「この勘は間違ってはいない」 と、 私はガッテンしたのでした。
ほんとは寂しい、 変わり者のモンゴメリー …
よっし!
モンゴメリーを、 美しいプリンスエドワード島の湾に、引っ張って行こう。
そして、 夕日に向かって、 「叫んでみぃ」 と言いたい。
私は言うよ。
「これがワタシだ。 勝手に決めるな。」
「バ カ ヤ ロ 〜 〜 … …」
増刊号 『ようこそ、さよなら、 赤毛のアンの世界』
NHKの「ようこそ! "赤毛のアン" の世界へ」、 ご覧になりましたか?
私の感想は、 予想以上の落胆。
一言で言えば "番宣" 、 4月から放映される新番組の
"前宣伝" でしかありませんでした。
山瀬まみの座り位置で、 "ためしてガッテン" か?、 と思いましたが、
観終わっても全くガッテンできず、 苛立たしさだけが残りました。
私は、 「赤毛のアン」 が好きだということを、長年苦労し、
慎重に、 隠し続けて来ました。
せっかくカミングアウトしたのに、隠しておけば良かった、 と思いました。
なぜだと思います?
「赤毛のアンの世界」 にどっぷり浸かった、 "夢見る夢子" ちゃんだと、
誤解されたくないからなのです。
知り合いのご婦人宅に、お邪魔した時の事。
大変な読書家らしく、 本棚には東西の名作が並んでいました。
その中で、 なぜか数冊の本にだけ、カバーがかけられ、
タイトルが隠されているのを、 私は見逃しませんでした。
「これは… アンに違いない…」
やっぱり、 「赤毛のアン」 でした。
世間の 「赤毛のアン」 に対するイメージが、 あまりに幼過ぎるのです。
事前のアンケート調査に基づいて、制作したようですから、
これが世間一般の、 「赤毛のアン」 ファンの実像なのでしょうが…
正直、 げんなりしました。
そうしてみれば、 ふてくされたような山瀬まみの表情が、
一番正味の反応だった、 と思えます。
もし、 "この番組が良かった" と言う人が90%以上いても、
面白くないと思った少数の 「赤毛のアン」 好きがいる、
という事を、世間に知らしめたい、 と私は思ったのです。
「赤毛のアンの何に一番魅力を感じるか」 という問いに対し、
堂々の第1位は… 驚いた事に、 "プリンスエドワード島" 。
さすがに、 脳科学者は、言う事が違います。
「名作の舞台には、その作品の風が吹いている」 と…。
しかし、 普通のアンフリークが、そこまで会得して帰国できるかどうかは、
疑問です。
アヴォンリーは、 当初の予想通り、 "テーマパーク化" されているようで、
そんな中ではしゃぐ "松坂慶子" の姿を見て、何となく恥ずかしくなったのは、
私がひねくれているからなのでしょうか…。
そして、 大ヒット作品の宿命…。
「赤毛のアン」 の中で書かれた内容とは別に、
やはり、 ファンのイメージが一人歩きしている様です。
昭和27年に、日本で出版された時は、 終戦から13年が経ち、
世の中は落ち着きを取り戻しつつありましたが、まだ文化的な貧富の差は大きく、
当時、これを読まれた方は、 少なくとも 「中流階級以上」 だったのでは、
と想像しています。
確かに 「赤毛のアン」 には、 ちょっとセレブな、文学少女のイメージが
感じられます。
文学少女なら、 必ず読んだ本だったのでしょう。
その後、 「こども向き」 に訳された本が、どこの学校の図書館にも並び、
私も夢中で読みました。
モンゴメリーの、アン以外の作品も、 ほとんど読破したものです。
それまでは、 父の本棚にある松本清張、 司馬遼太郎、 山本周五郎などの
歴史モノを主に読んでいたのですから、まさに "カルチャーショック" でした。
見た事も触れた事もない、外国の生活様式への憧れ、 自然への憧れが、
キラキラと目の前に拡がっていきました。
夢見る "ちびまる子" ちゃんの画をご想像戴ければ、 ズバリそのままでしょう。
アニメ化されてからは、 「赤毛のアン」 は、
文字通り、 "童話" になってしまいました。
私は、 "自分の中のアン" を壊されそうで、 アニメは観ませんでした。
「赤毛のアン」 の世界には、 引き込まれたら戻れないくらい、
強烈な "エネルギー" があります。
それは、まるで "ぬるま湯" のように、 どっぷり浸かっていたくなるのです。
良い本には、 総じて、そんな力があります。
そこから抜け出して眼を覚ますのが、 一番大変で、最も重要なことなのです。
NHKのスタジオで、 笑みを浮かべて、大まじめに拍手していた方々の多くは、
まだ夢の中におられるのではないか…、 そんな気がします。
本を読んだら、 そこから得たものを現実に持ち帰り、
自分の、 生きる知恵とエネルギーに換えなければならない、
私は、そう考えています。
私は、 どうして目が覚めたのか…。
社会の荒波や人間関係の大波にさらわれ、 揉みくちゃにされ、
めためたになったからです。
元々の自分がなくなるくらいになって…、 ふと我に帰ったら、
何にも感じなくなっていたのです。
つまり、 「アンの魔法」 は、 何の役にも立たなかったのです。
ましてや、アンの事を思い出した事などなく、 むしろ、アンなら
"絶対にしない事" をして、 生き抜いてきたのです。
ある日、 引っ越しの荷物整理をしていると、
黄色く変色した単行本に、 眼が留まりました。
それは、「赤毛のアン」 ではなく、 モンゴメリーの作品のひとつ、
「丘の家のジェーン」 でした。
高校時代、 私は、 アンよりジェーンを身近に感じていて、
何度も読み返していました。
それがなぜなのか…、 自分でも判らないのですが、この事はこのままそっと、
謎のままにしておきたいほど、 大切にしていたいのです。
何も感じなくなった心が、 フッと息をついたのを感じました。
昔の自分を思い出す、 きっかけになったのです。
私は、はっきり意見を言えない臆病者で、 大きな声の人に意見を合わせて
生きてきました。
素直に、静かに、明るくしていれば、 嫌われる事も少ないからです。
意見があっても言わないようにしていました。
人は、 意見を言わない、そんな私を軽く見て、 勝手に決めるようになりました。
私は、 次第に 「自分には内容がない」、 と思うようになっていきました。
内容がないのに、 ロマンチックなアンの、物の見方だけを
学んでしまったようです。
まさに、 ミーハーな、 「赤毛のアン」 フリークでした。
赤毛のアンの、 "かけら" だけが残ってしまったのです。
そして、年月を経て、 こうして "書く" ことにより、気が付きました。
それも、 昨夜のことなのだけれど。
私は、 「言わなかったから」 。
あまりに長い間、習慣的に黙っていたために、 言い方がわからないのだ、
と思ったのです。
嬉しくもあり、 厳しくもある、 発見でした。
NHKの番組は、 "茶番" だったけれど、
ひとつだけ、 私が "ガッテンボタン" を連打した映像がありました。
モンゴメリーが縫った、 パッチワークのベットカバー。
それは、 恐ろしい程の 「迫力」 がありました。
同じ大きさと形にカットされた、普通のパッチワークではなく、
上に重ねて端切れを当て、 さらにまた気に入った布をはぎ合わせ、
その上から刺繍をし…、
まるで、 熱中する事で何かを忘れようとするような、
情熱の捌け口のような作品でした。
そして…、
僅かに空いた、白いスペースに、 小さく刺繍された "Lucy" という文字。
生身のモンゴメリーが、 そこにいました。
私は、 「赤毛のアンの本性を見つける」 と公言して以来、
ずっと考え続けていました。
そんな中、ポンと浮かんだのは、 アンは "つぎはぎだらけ" という事でした。
膨大な読書による、 名作・古典・聖書・詩の知識を引用し、
イメージを膨らませ、 ちりばめて創られた、 パッチワークの 「アン」 。
モンゴメリー自身の声で語り出された言葉は、
その中の、どこに隠されているのでしょうか。
ピカソや岡本太郎、といった芸術家達のように、
「これがオレだ! どうだ〜!」
とばかりに、 自分を表現しないモンゴメリー …
はっきり言っているようで、 判りにくい表現方法。
そのどこかに、 彼女は隠れているように感じるのです。
あのパッチワークを見た時。
「この勘は間違ってはいない」 と、 私はガッテンしたのでした。
ほんとは寂しい、 変わり者のモンゴメリー …
よっし!
モンゴメリーを、 美しいプリンスエドワード島の湾に、引っ張って行こう。
そして、 夕日に向かって、 「叫んでみぃ」 と言いたい。
私は言うよ。
「これがワタシだ。 勝手に決めるな。」
「バ カ ヤ ロ 〜 〜 … …」
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
No.44 『第3章 類は友を呼ぶ』
変わり者。 アヴォンリー村では、主に "よそ者" を指しているようだ。
村の人々と、 違うやり方や、考え方を持っていることが、
"変人" の特徴として、欠くことの出来ないものなのだ。
つまり、 田舎なのである。
グリーンゲーブルズの西隣、 ロバート・ベルの農場を買ったハリソンさんは、
ちょっとワケありの独身男性だ。
ずんぐりむっくりで、薄毛の中年男、 私の勘では、女性にコンプレックスが
ある。
「女なんぞというばかばかしいものに、まわりをうろつかれたくない。」
と公言する心の裏に、何かありそうな…。
変わり者…。 それは、 寂しいから、 "変わり者というバリア" を
張っているのだ、と、私は思っている。
寂し過ぎては、 素直にはなれない。
素直になってしまったら、 寂しさでヨヨッと泣きそうになるからだ。
男なんぞ、馬鹿で面倒なだけヨと、 昔の私なら片意地張って、
ツッパるだろう。
泣かせてくれる温かい胸もないのに、泣いてられるかよ!
よけいに寂しくなるわ。
男なら、どうするのだろう…
ハリソンさんの慰めは、 口の悪いオウムのジンジャーだ。
アンに向かって、「この赤毛の娘っ子が!」を連発するほど、
性格の悪い、このオウム。
しかし、 そんなオウムを、どれくらい可愛がっているか…、
「こいつのおかげで、寂しい思いをしないですんでいる。
なにがあっても、手放す気はないね − なにがあっても、絶対にだ」
ともかくは、 "聞いたらびっくりするくらい、可愛がっている" らしい。
別れた夫も、 最近、猫を飼っている。
こども達からの報告によると、 気持ち悪いくらい、可愛がっているそうだ。
寂しさの慰めになっているのだろうが、 猫を可愛がっている暇があったら、
再婚相手を探しなさい。
人から温もりを貰う方が、 ずっと温かい。
別れた私の方から、再婚を勧めるのはいかがなものか、 とも思うが…。
独りの生活が続くと、 世界が狭くなる。 どん詰まりになる。
私も、 何年か、孤独に耐えた時期があった。
振り返ると、 偏屈で、自分勝手になっていた。
人に合わせるとか、気持ちを汲むとかが面倒になるのだ。
どうでもいい話を聞くよりは、早く帰って自分のことをしたい、 と思うので、
付き合いも悪くなりがちだった。
誰か一人がプラスされるだけで、 世界は変わる。
むしろ、無限に大きく拡がっていく。
ところが、 そのきっかけは、いつも偶然に起こる。
ポイントは、 偶然を呼び寄せられるかどうか。
そして、 起こった偶然に、心を開いて対応できるかどうかだ。
片意地張った偏屈者にチャンスはない。 それが現実だ。
猫やオウムは、 慰めにはなっても、自分を変えてはくれないし、
ましてや、 新しい友達を紹介してはくれない。
一緒に生きる人、 側に居てくれる人は、 必要なのだ。
ハリソンさんの場合は、 ツイていた。
カラスムギ畑を喰い荒らすドリーをひっ捕まえたアンは、
その場で厄介者を売り払ってしまった。
ところが、 なんとその牛は、アンの "ドリー" ではなく、
ハリソンさんの牛だったのだ。
この事件をきっかけに、 アンと、ハリソンさんとの交流が始まる。
女性コンプレックスのハリソンさんも、若い娘には弱いらしい。
オジサンは、 洋の東西を問わず、若い娘の言うことは素直に聞くのだ…
しかし。 忘れてはいけない。
アンだって、 元は、カスバート家に貰われてきた "よそ者" だったのだ。
随分 "風変わりな" こどもだったのだ。
よそ者と、 変人と、 寂しい人の気持ちは、 誰よりも知っている。
それがアンの痛いところでもあり、 強みでもある。
何より、 あの変わり者のマシュー(独身でマザコン)を、
メロメロにした実績がある。
ハリソンさんにも、 良いことが起きそうな、予感がしてくるではないか。
そんな私も、 このマンションに入居した当初は、 "独り者の変人" だった。
近所付き合いなど、 適当にこなすつもりだったし、 特に、仲の良い友達など、
それこそ面倒なだけだと思っていた。
とはいえ、 犬や猫に慰めてもらうなど、まっぴらだが、
人との付き合いは、 距離のある方がよかった。
マンションの住人同士が挨拶しようと、しまいと、 私には関係なかったのだ。
私は、 誰にも迷惑かけず、トラブルも起こさず、 苦情も言わずに、
生きていける自信があった。
ところが…、 赤毛のアン太郎が住み着いた日から、
少しずつ、 私は変わっていったようだ。
「仕方がない…」 で、私なら我慢することも、 赤毛のアン太郎は、
大文句を言う。
挨拶しないとか、 立体駐車場の操作にいい加減なヤツがいて迷惑するとか、
ゴミの捨て方に配慮がないとか…。
果ては、 隣の工場の廃棄臭が臭い、と怒っている。
しかし、 これは確かに臭い。
ある日、 すれ違った住民に 「今日は一段とクサイですね。 」と、
思わず声を掛けた。
「えっ… (クンクン)… そうですかぁ…? 」だって。
鼻が悪いのか、愛想がないのか、 喰えないオヤジだった。
長い結婚生活の中で、いつの間にか、 "不平を言わず我慢する事" が
当たり前になっていた自分に、 気が付いた。
"何を言っても無駄な人" に沈黙を守り、
今まで凝り固まって生きていた事に、 気が付いた。
自分さえ我慢していればいい、関わらなければトラブルもない、
そう考えるようにする事、 それこそが、 自分を守る "知恵" だったからだ。
1階のポストで顔を合わせる時は、 部屋番号を横目で見ながら、
挨拶を交わす。
なんか、 手応えない返事…。
エレベーターでは、 「何階ですか?」 の問いかけに、お天気の話でも
してみようかと考えているうちに、 着いてしまう。
我が家は3階。 妙な半笑いを残して、降りるしかない。
犬を飼っている人が多い。 しかし、 可愛いとも思わない犬に、
「わ〜 かわいい!」 など、 私には言えない。
…。 どうも、 きっかけが掴めないでいる。
興味を持つ気さえなかった、このマンションに、 私は目を向けるように
なったのだ。
人間関係を築いてゆく中で、頑固な自分が変えられていく、 実感…。
人は一生、 人と関わることを止めてはいけない。
我が "グリーンゲーブルズ" マンションで、 暮らし始めて、5年。
"良いことが起こりそうな予感" を感じる人物には、 まだ出遇ってない。
赤毛のアン太郎の情報によれば、 "5階以上" の住人は、
人種が違うらしいが…。
偶然は、 誰にも平等に降って来るものだと、私は信じている。
村の人々と、 違うやり方や、考え方を持っていることが、
"変人" の特徴として、欠くことの出来ないものなのだ。
つまり、 田舎なのである。
グリーンゲーブルズの西隣、 ロバート・ベルの農場を買ったハリソンさんは、
ちょっとワケありの独身男性だ。
ずんぐりむっくりで、薄毛の中年男、 私の勘では、女性にコンプレックスが
ある。
「女なんぞというばかばかしいものに、まわりをうろつかれたくない。」
と公言する心の裏に、何かありそうな…。
変わり者…。 それは、 寂しいから、 "変わり者というバリア" を
張っているのだ、と、私は思っている。
寂し過ぎては、 素直にはなれない。
素直になってしまったら、 寂しさでヨヨッと泣きそうになるからだ。
男なんぞ、馬鹿で面倒なだけヨと、 昔の私なら片意地張って、
ツッパるだろう。
泣かせてくれる温かい胸もないのに、泣いてられるかよ!
よけいに寂しくなるわ。
男なら、どうするのだろう…
ハリソンさんの慰めは、 口の悪いオウムのジンジャーだ。
アンに向かって、「この赤毛の娘っ子が!」を連発するほど、
性格の悪い、このオウム。
しかし、 そんなオウムを、どれくらい可愛がっているか…、
「こいつのおかげで、寂しい思いをしないですんでいる。
なにがあっても、手放す気はないね − なにがあっても、絶対にだ」
ともかくは、 "聞いたらびっくりするくらい、可愛がっている" らしい。
別れた夫も、 最近、猫を飼っている。
こども達からの報告によると、 気持ち悪いくらい、可愛がっているそうだ。
寂しさの慰めになっているのだろうが、 猫を可愛がっている暇があったら、
再婚相手を探しなさい。
人から温もりを貰う方が、 ずっと温かい。
別れた私の方から、再婚を勧めるのはいかがなものか、 とも思うが…。
独りの生活が続くと、 世界が狭くなる。 どん詰まりになる。
私も、 何年か、孤独に耐えた時期があった。
振り返ると、 偏屈で、自分勝手になっていた。
人に合わせるとか、気持ちを汲むとかが面倒になるのだ。
どうでもいい話を聞くよりは、早く帰って自分のことをしたい、 と思うので、
付き合いも悪くなりがちだった。
誰か一人がプラスされるだけで、 世界は変わる。
むしろ、無限に大きく拡がっていく。
ところが、 そのきっかけは、いつも偶然に起こる。
ポイントは、 偶然を呼び寄せられるかどうか。
そして、 起こった偶然に、心を開いて対応できるかどうかだ。
片意地張った偏屈者にチャンスはない。 それが現実だ。
猫やオウムは、 慰めにはなっても、自分を変えてはくれないし、
ましてや、 新しい友達を紹介してはくれない。
一緒に生きる人、 側に居てくれる人は、 必要なのだ。
ハリソンさんの場合は、 ツイていた。
カラスムギ畑を喰い荒らすドリーをひっ捕まえたアンは、
その場で厄介者を売り払ってしまった。
ところが、 なんとその牛は、アンの "ドリー" ではなく、
ハリソンさんの牛だったのだ。
この事件をきっかけに、 アンと、ハリソンさんとの交流が始まる。
女性コンプレックスのハリソンさんも、若い娘には弱いらしい。
オジサンは、 洋の東西を問わず、若い娘の言うことは素直に聞くのだ…
しかし。 忘れてはいけない。
アンだって、 元は、カスバート家に貰われてきた "よそ者" だったのだ。
随分 "風変わりな" こどもだったのだ。
よそ者と、 変人と、 寂しい人の気持ちは、 誰よりも知っている。
それがアンの痛いところでもあり、 強みでもある。
何より、 あの変わり者のマシュー(独身でマザコン)を、
メロメロにした実績がある。
ハリソンさんにも、 良いことが起きそうな、予感がしてくるではないか。
そんな私も、 このマンションに入居した当初は、 "独り者の変人" だった。
近所付き合いなど、 適当にこなすつもりだったし、 特に、仲の良い友達など、
それこそ面倒なだけだと思っていた。
とはいえ、 犬や猫に慰めてもらうなど、まっぴらだが、
人との付き合いは、 距離のある方がよかった。
マンションの住人同士が挨拶しようと、しまいと、 私には関係なかったのだ。
私は、 誰にも迷惑かけず、トラブルも起こさず、 苦情も言わずに、
生きていける自信があった。
ところが…、 赤毛のアン太郎が住み着いた日から、
少しずつ、 私は変わっていったようだ。
「仕方がない…」 で、私なら我慢することも、 赤毛のアン太郎は、
大文句を言う。
挨拶しないとか、 立体駐車場の操作にいい加減なヤツがいて迷惑するとか、
ゴミの捨て方に配慮がないとか…。
果ては、 隣の工場の廃棄臭が臭い、と怒っている。
しかし、 これは確かに臭い。
ある日、 すれ違った住民に 「今日は一段とクサイですね。 」と、
思わず声を掛けた。
「えっ… (クンクン)… そうですかぁ…? 」だって。
鼻が悪いのか、愛想がないのか、 喰えないオヤジだった。
長い結婚生活の中で、いつの間にか、 "不平を言わず我慢する事" が
当たり前になっていた自分に、 気が付いた。
"何を言っても無駄な人" に沈黙を守り、
今まで凝り固まって生きていた事に、 気が付いた。
自分さえ我慢していればいい、関わらなければトラブルもない、
そう考えるようにする事、 それこそが、 自分を守る "知恵" だったからだ。
1階のポストで顔を合わせる時は、 部屋番号を横目で見ながら、
挨拶を交わす。
なんか、 手応えない返事…。
エレベーターでは、 「何階ですか?」 の問いかけに、お天気の話でも
してみようかと考えているうちに、 着いてしまう。
我が家は3階。 妙な半笑いを残して、降りるしかない。
犬を飼っている人が多い。 しかし、 可愛いとも思わない犬に、
「わ〜 かわいい!」 など、 私には言えない。
…。 どうも、 きっかけが掴めないでいる。
興味を持つ気さえなかった、このマンションに、 私は目を向けるように
なったのだ。
人間関係を築いてゆく中で、頑固な自分が変えられていく、 実感…。
人は一生、 人と関わることを止めてはいけない。
我が "グリーンゲーブルズ" マンションで、 暮らし始めて、5年。
"良いことが起こりそうな予感" を感じる人物には、 まだ出遇ってない。
赤毛のアン太郎の情報によれば、 "5階以上" の住人は、
人種が違うらしいが…。
偶然は、 誰にも平等に降って来るものだと、私は信じている。
赤毛のアン 〜毎日読むアン〜
新年、 明けましておめでとうございます。
本年も 「赤毛のアン 〜毎日読むアン〜」を、何卒宜しくお願い申し上げます。
2008年を迎え、 テレビでは各局競って、新年のカウントダウンを
派手にやっていました。
そんな中、 「新しい年が来るのがそんなに嬉しいかぁ?」 と思うのは、
私だけでしょうか?
年々派手になってゆく、 「お正月」という単語の宣伝に、
「いつからお正月までもが "イベント" になってしまったのか」 と、
呆れてしまうのです。
一去年から私は、 赤毛のアン太郎がバンドの練習をする、
なじみのスタジオで年末を過ごすようになりました。
私としては、 年末は「ゆく年、くる年」 を観ないと、
新年が来るって感じがしません。
ところが若い方達は、
「除夜の鐘はクライ(?)、 もっと明るい番組がいい」 というのです。
結局、 不本意ながらジャニーズ祭りのカウントダウンに参加することと
なりましたが、明るいってやかましいなぁ… と思ってしまいました。
「ジャニーズ祭りを観ないと、お正月が来た気分にならない」っていう空気に、
どこかしら、拍子抜けした私でした。
ところで…
中国医学と気功を修めた方から聞いた話なのですが、
お正月は、 日本の伝統に従って過ごすと、開運大吉に繋がるそうです。
日本人は、 日本の自然の恵みを受けることが開運になるらしいのです。
伝統の料理や行事は、自然の摂理にかなっている、 と聞きました。
ここは、 たとえ「赤毛のアン」のファンであろうと、
日本人の素に戻ることに、躊躇することはありません。
で、 お正月は、やはり、 おせち料理を食べなければ… ?!
その方が言うには、 "外国産食材満載" のおせち料理なんて、
めでたくも、何ともないんですって。
「地元でとれたものが一番なんです。 いくら美味しくても、
フランス産のキャビアで精が付くのはフランス人だけなのです。」
「地産地消」が叫ばれる昨今ですが、 輸入物に頼らない食生活は、
まず不可能です。
それでは… いったいどうしたら良いのでしょう…
開運の夢も、はかなく消えそうです。
私、 おせち料理に、希望も食欲も失ってしまいました。
お正月のイベントに乗せられたくもないし、形だけの料理を買うのも嫌です。
私は昨夜、新しい年を健康で過ごせるように、 地元の野菜をたっぷり使って、
赤毛のアン太郎の大好きな、 カレーライスを作りました。
「開運… 開運… 家族の健康… 」 祈りながらね。
正月早々してはいけない、と言われている、 掃除も洗濯もしました。
「今年も病気しませんように…」
それでも、お正月の的を外してないと思っている、 そんな新年の幕開けでした。
新しい年が幸せであるように、 皆様の健康を心からお祈りしております。
〜追伸〜
先般、『増刊号』でお知らせしましたが、
「赤毛のアン」 出版100周年の特別番組が、
いよいよ明日、 放映されます。
皆様、 お見逃しなさらぬよう。
「ようこそ!“赤毛のアン”の世界へ」
NHK教育テレビ
2008年1月3日(木) 午後 10:00〜10:58
(※ 放送日時等は、新聞などで再度ご確認下さい)
どうか、 NHK的 "おりこうさんな番組" になりませんように…。
No.43 『新年のご挨拶 〜お正月にもの申す〜』
新年、 明けましておめでとうございます。
本年も 「赤毛のアン 〜毎日読むアン〜」を、何卒宜しくお願い申し上げます。
2008年を迎え、 テレビでは各局競って、新年のカウントダウンを
派手にやっていました。
そんな中、 「新しい年が来るのがそんなに嬉しいかぁ?」 と思うのは、
私だけでしょうか?
年々派手になってゆく、 「お正月」という単語の宣伝に、
「いつからお正月までもが "イベント" になってしまったのか」 と、
呆れてしまうのです。
一去年から私は、 赤毛のアン太郎がバンドの練習をする、
なじみのスタジオで年末を過ごすようになりました。
私としては、 年末は「ゆく年、くる年」 を観ないと、
新年が来るって感じがしません。
ところが若い方達は、
「除夜の鐘はクライ(?)、 もっと明るい番組がいい」 というのです。
結局、 不本意ながらジャニーズ祭りのカウントダウンに参加することと
なりましたが、明るいってやかましいなぁ… と思ってしまいました。
「ジャニーズ祭りを観ないと、お正月が来た気分にならない」っていう空気に、
どこかしら、拍子抜けした私でした。
ところで…
中国医学と気功を修めた方から聞いた話なのですが、
お正月は、 日本の伝統に従って過ごすと、開運大吉に繋がるそうです。
日本人は、 日本の自然の恵みを受けることが開運になるらしいのです。
伝統の料理や行事は、自然の摂理にかなっている、 と聞きました。
ここは、 たとえ「赤毛のアン」のファンであろうと、
日本人の素に戻ることに、躊躇することはありません。
で、 お正月は、やはり、 おせち料理を食べなければ… ?!
その方が言うには、 "外国産食材満載" のおせち料理なんて、
めでたくも、何ともないんですって。
「地元でとれたものが一番なんです。 いくら美味しくても、
フランス産のキャビアで精が付くのはフランス人だけなのです。」
「地産地消」が叫ばれる昨今ですが、 輸入物に頼らない食生活は、
まず不可能です。
それでは… いったいどうしたら良いのでしょう…
開運の夢も、はかなく消えそうです。
私、 おせち料理に、希望も食欲も失ってしまいました。
お正月のイベントに乗せられたくもないし、形だけの料理を買うのも嫌です。
私は昨夜、新しい年を健康で過ごせるように、 地元の野菜をたっぷり使って、
赤毛のアン太郎の大好きな、 カレーライスを作りました。
「開運… 開運… 家族の健康… 」 祈りながらね。
正月早々してはいけない、と言われている、 掃除も洗濯もしました。
「今年も病気しませんように…」
それでも、お正月の的を外してないと思っている、 そんな新年の幕開けでした。
新しい年が幸せであるように、 皆様の健康を心からお祈りしております。
〜追伸〜
先般、『増刊号』でお知らせしましたが、
「赤毛のアン」 出版100周年の特別番組が、
いよいよ明日、 放映されます。
皆様、 お見逃しなさらぬよう。
「ようこそ!“赤毛のアン”の世界へ」
NHK教育テレビ
2008年1月3日(木) 午後 10:00〜10:58
(※ 放送日時等は、新聞などで再度ご確認下さい)
どうか、 NHK的 "おりこうさんな番組" になりませんように…。

